ベイシー
ベイシー (BASIE) は、岩手県一関市に所在する、菅原正二[1]がオーナーをつとめるジャズ喫茶である。ベーシーと表記されることもある。
ベイシー BASIE | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒021-0893 岩手県一関市地主町7-17 |
座標 | 北緯38度55分57.2秒 東経141度8分3.2秒 / 北緯38.932556度 東経141.134222度座標: 北緯38度55分57.2秒 東経141度8分3.2秒 / 北緯38.932556度 東経141.134222度 |
開業日 | 1970年 |
施設管理者 | 菅原正二 |
概要
編集JR一ノ関駅から徒歩10分程度、一関第一高等学校から徒歩4〜5分ほどに位置する、音が良いことで有名なジャズ喫茶。店名の由来はカウント・ベイシーに因んでおり、ベイシー本人も実際にここを何度も訪れている。学習研究社刊『ジャズの教科書』では、「日本一のジャズ喫茶」と紹介され、「日本一音の良い喫茶店[2][3]」として知られている。店内は、薄暗い空間にオーディオ・システムが置かれ、常に大音量でジャズのLPレコードを再生する。稀にクラシックのLPレコードを再生することもある。国内のみならず、海外からも多数のジャズ愛好家が訪れ、ファンの間では、「ジャズの聖地」と呼ばれている[4]。アメリカのJBL本社からは、社長やエンジニア達がその音を聴くために訪れた[5]。著名なジャズ・ミュージシャンによるコンサートもたびたび開催されている。マスターの音に対するこだわりは強く、開店当初のスピーカーのエンクロージャーに、店内の柱を切って入れたこともある[注 1]。
歴史
編集1970年6月に、菅原家の土蔵をジャズ喫茶に改装して開店した[注 2]。開店後は、著名なジャズ・ミュージシャンのライブも開いている。東日本大震災の際に、地震の被害を受け、店内は散乱したことで、一旦営業を中止。同年4月26日に営業を再開した[注 3]。2階の土壁が落ちたり、梁にヒビが入るなどの被害があったものの、レコードは1枚も棚から落ちなかった[注 4]。
常連客
編集- 村松友視 - 菅原の仲人も務めるなど交友が深い。
- タモリ - 毎年、この店を訪れることを公言している。「ヨルタモリ」で吉原という喫茶店のマスター役を演じたが、この人物はマスターの菅原をモチーフとしていた。
- 渡辺貞夫 - ほぼ毎年、この店でライブを開いている。ライブ観客として、滝川クリステルと鈴木京香が訪れたことがある。
- 色川武大(阿佐田哲也) - この店に通うために晩年に一関市に引っ越した。
- 坂田明 - この店でたびたびライブを開催している。
- エルヴィン・ジョーンズ - この店でたびたびライブを開催していた。
- ケイコ・リー - この店でたびたびライブを開催している。
- マリーン - この店でたびたびライブを開催している。
- 永六輔 - この店でトークショーをたびたび開催していた。
- 立川談志 - この店で落語会を開催していた。
- 春風亭小朝 - この店で落語会を開催していた。
関連作品
編集CD
編集- 阿部薫『暗い日曜日』 WAX RECORDS/徳間ジャパンコミュニケーションズ (1997)
- 1971年12月6日にベイシーで録音された実況録音盤。
- ケイコ・リー『誰よりも』 ソニーミュージック (2006)
- 2005年11月10日にベイシーで録音された実況録音盤。(3,4曲目のみ)
- ケイコ・リー『ライヴ・アット・ベイシー~ウィズ・ハンク・ジョーンズ』 ソニーミュージック (2006)
- 2006年3月10日にベイシーで録音された実況録音盤。ケイコ・リー(vo),ハンク・ジョーンズ(p),坂井紅介(b)。
- 渡辺貞夫『ベイシーズ・アット・ナイト』 ビクターエンタテインメント (2007)
- アニタ・オデイ『恋をしましょう~LIVE AT BASIE~』 RATSPACK RECORDS (2007)
- 1978年7月2日にベイシーで録音された実況録音盤。アニタ・オデイ(vo),ドワイト・ディッカーソン(p),ハーヴェイ・ニューマーク(b),ジョン・プール(ds)。
- 2009年8月14日、15日にベイシーで録音された実況録音盤。ジャズ喫茶「ベイシー」40周年記念企画。クリスタルディスク(ガラスCD)、グリーンレーベルコートCD、アナログ・ディスクの3形態で発売された。ハンク・ジョーンズ(p),デイヴィッド・ウォン(b),リー・ピアソン(ds),レイモンド・マクモーリン(ts)。
- 『A DAY AT JAZZ SPOT ‘BASIE’ selected by Shoji"Swifty"Sugawara』 ステレオサウンド (2011)
- マスター自ら選曲した2枚組、全20曲のコンピレーション・アルバム。ステレオサウンド・リファレンス・レコードシリーズ。ハイブリッドSACD、音匠仕様。アナログ・マスター・テープからDSDによるトランスファー、及びリマスタリングが施された。
- 『カウント・ベイシー・ルーレット・コレクション―全24タイトル』 ワーナー・ミュージック・ジャパン(2015)
- マスターが監修した、1957年~1962年のルーレット時代のカウント・ベイシーのアルバムを再発したシリーズ。オリジナル・マスターを取り寄せ、マスター監修のもと、リマスタリングが施された。シリーズ中13タイトルが日本初CD化作品。
書籍
編集- 村松友視『ベーシーの客』マガジンハウス、1998年6月
- 菅原昭二『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択』講談社、1993年4月
- 菅原正二『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択:ぼくとジムランの酒とバラの日々』講談社〈講談社+α文庫〉、2001年6月
- 菅原正二『サウンド・オブ・ジャズ!:JBLとぼくがみた音』新風舎〈新風舎文庫〉、2007年3月
- 菅原正二『ぼくとジムランの酒とバラの日々』駒草出版、2010年3月
- 菅原正二『聴く鏡 1994~2006』ステレオサウンド〈SS選書〉、2006年4月
- 菅原正二『聴く鏡Ⅱ 2006~2014』ステレオサウンド〈SS選書〉、2014年4月
- 『別冊ステレオサウンドジャズ喫茶ベイシー 読本 BASIE 50th Anniversary』ステレオサウンド、2020年5月
映画
編集この店がロケ地となった。
- 『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩-Ballad』星野哲也監督作品、2020年9月公開
その他
編集- JICO VN35MRB (交換針)
マスターが監修したSHURE V15 type Ⅲ対応レコード交換針。SHURE VN35MRをベースにして500本限定で製作された。
脚注
編集注釈
編集- ^ オープンしたその日にぼくは、二階で寝ていた布団を下ろしてきて箱の中にぶち込んだし、また数日後には店内に立っている柱を……切り倒し、スピーカーの中につっかい棒として、これもぶち込んだ。(菅原昭二『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択』24頁 講談社 1993年)
- ^ ……1970年の6月、すなわち、「ベイシー」開店前夜であった。(菅原正二『聴く鏡Ⅱ』収録「ジャズ喫茶「ベイシー」の12年 1970-1982」(スイングジャーナル社刊『ジャズ読本'83』掲載「燃えた!!『ベイシー』の12年」を改稿改題) ステレオサウンド 2014年)
- ^ ベイシーがまもなく営業を再開する、というニュースが伝わったのが4月中旬。実際には、4月26日に営業が再開された。(季刊・アナログ 2011 SUMMER vol.32 130頁 音元出版 2011年)
- ^ ベイシーの建物は……この地震で梁にヒビが入り、2階の土壁が落ちた。……レコード棚のレコードは1枚も落ちなかった。棚の前の方にせり出してきたけど、落ちなかった。(季刊・アナログ 2011 SUMMER vol.32 131頁 音元出版 2011年)
出典
編集- ^ “伝説的ジャズ喫茶「ベイシー」が功績。店主・菅原正二さんが、平成29年度の一関市市勢功労者(教育文化功労)として表彰”. Stereo Sound ONLINE 編集部 (2017年11月13日). 2018年8月31日閲覧。
- ^ 岡田和彦 (2014年6月20日). “岩手)ベイシー店主菅原さんの出版記念会 友人らが企画 ※リンク切れ”. 朝日新聞デジタル. 2015年5月6日閲覧。
- ^ 岡田和彦 (2014年6月20日). “岩手)ベイシー店主菅原さんの出版記念会 友人らが企画 ※アーカイブ”. 朝日新聞デジタル. 2015年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月23日閲覧。
- ^ 竹内靖朗 (2013年5月31日). “伝説の「音」を体感する、一関「ジャズ喫茶ベイシー」~味から始まる復興~”. 日経ビジネス. 2017年3月23日閲覧。
- ^ Don McRitchie (2006年9月11日). “Lansing Heritage Tokyo Trip - Day 3”. 2019年2月28日閲覧。