ヘンリー・ラッセルズ (第6代ハーウッド伯爵)
第6代ハーウッド伯爵ヘンリー・ジョージ・チャールズ・ラッセルズ(英語: Henry George Charles Lascelles, 6th Earl of Harewood, KG GCVO DSO TD、1882年9月9日-1947年5月23日)は、イギリスの貴族、陸軍軍人、政治家。
父が爵位を継承する1892年以前はヘンリー・ラッセルズ閣下(The Honourable Henry Lascelles)、1892年から自身が爵位を継承する1929年まではラッセルズ子爵(Viscount Lascelles)の儀礼称号を使用した。
経歴
編集1882年9月9日、第5代ハーウッド伯爵ヘンリー・ラッセルズとその妻フローレンス(第3代ブラッドフォード伯爵オーランド・ブリッジマンの娘)の間の長男としてロンドンに生まれる[1]。
サンドハースト王立陸軍大学を出て1902年2月にグレナディアガーズに入隊した[2]。第一次世界大戦では国防義勇軍に少佐として従軍し、負傷して二度も殊勲者公式報告書に名前が載った[1]。
1922年2月28日には国王ジョージ5世の第3子メアリー王女とウェストミンスター寺院において結婚した[1]。
1929年10月6日に父が死去し、第6代ハーウッド伯爵位を継承し[1]、貴族院議員に列した[3]。
1942年から死去までフリーメイソンのイングランド・連合グランドロッジのグランドマスターを務める。
栄典
編集爵位
編集- 1929年10月6日、第6代ハーウッド伯爵(1812年創設連合王国貴族爵位)
- 1929年10月6日、第6代ラッセルズ子爵(1812年創設連合王国貴族爵位)
- 1929年10月6日、第6代ハーウッド男爵(1796年創設グレートブリテン貴族爵位)[1]
勲章
編集家族
編集1922年にジョージ5世の娘メアリー王女を妻に迎え、彼女との間に以下の2子を儲けた[1]。
- 第1子(長男)ジョージ・ラッセルズ (1923-2011) : 第7代ハーウッド伯爵
- 第2子(次男)ジェラルド・デイヴィッド・ラッセルズ (1924-1998)
出典
編集- ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Henry George Charles Lascelles, 6th Earl of Harewood” (英語). thepeerage.com. 2015年9月3日閲覧。
- ^ "No. 27405". The London Gazette (英語). 11 February 1902. p. 846.
- ^ UK Parliament. “Mr Henry Lascelles” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月3日閲覧。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Earl of Harewood
- harewood.org
- goldsboroughhall.com
名誉職 | ||
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先代 第5代ハーウッド伯爵 |
ヨークシャーの西ライディング統監 1927年–1947年 |
次代 第11代スカーバラ伯爵 |
学職 | ||
先代 初代クルー侯爵 |
シェフィールド大学学長 1944年–1947年 |
次代 初代ハリファックス伯爵 |
フリーメイソン | ||
先代 初代ケント公爵 |
イングランド・連合グランドロッジ グランドマスター 1942年–1947年 |
次代 第10代デヴォンシャー公爵 |
イギリスの爵位 | ||
先代 ヘンリー・ラッセルズ |
ハーウッド伯爵 1929年–1947年 |
次代 ジョージ・ラッセルズ |