ヘンリー・ハワード (第3代エフィンガム伯爵)
第3代エフィンガム伯爵ヘンリー・ハワード(英語: Henry Howard, 3rd Earl of Effingham、1837年2月7日 – 1898年5月4日)は、イギリスの貴族。1845年から1889年までハワード卿の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
編集第2代エフィンガム伯爵ヘンリー・ハワードと妻イライザ(Eliza、旧姓ドラモンド(Template:Drummond)、1811年ごろ – 1894年2月27日、サー・ゴードン・ドラモンドの娘)の長男として、1837年2月7日に生まれた[1]。ハーロー校で教育を受けた後[1]、1855年6月7日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]。
1858年5月17日にオックスフォードシャー・ヨーマンリー連隊のコルネット(騎兵少尉)に任命され[3]、1872年6月1日に辞任した[4]。
1876年12月21日、オックスフォードシャーの副統監に任命された[5]。
1889年2月5日に父が死去すると、エフィンガム伯爵位を継承した[1]。貴族院では自由統一党に属した[1]。
長く苦しい闘病生活ののち、1898年5月4日にサックヴィル・ストリートのサックヴィル・ホテル(Sackville Hotel)で死去、7日にケンサル・グリーン墓地に埋葬された[1]。息子ヘンリー・アレクサンダー・ゴードンが爵位を継承した[1]。
家族
編集1865年10月31日、ヴィクトリア・フランチェスカ・ボイヤー(Victoria Francesca Boyer、1899年6月20日没、A・ボイヤーの娘)と結婚[1]、1男をもうけた[6]。
- ヘンリー・アレクサンダー・ゴードン(1866年8月15日 – 1927年5月6日) - 第4代エフィンガム伯爵[6]
出典
編集- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 15–16.
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 699. ウィキソースより。
- ^ "No. 22142". The London Gazette (英語). 21 May 1858. p. 2519.
- ^ "No. 23863". The London Gazette (英語). 31 May 1872. p. 2578.
- ^ "No. 24398". The London Gazette (英語). 29 December 1876. p. 7148.
- ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1931). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (89th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 871.
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Henry Howard
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