ヘンリー・ディグビー (初代ディグビー伯爵)
初代ディグビー伯爵ヘンリー・ディグビー(英語: Henry Digby, 1st Earl Digby、1731年7月21日 – 1793年9月25日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1755年から1765年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
編集エドワード・ディグビー閣下と妻シャーロット(Charlotte、旧姓フォックス(Fox)、1778年11月没、スティーブン・フォックスの娘)の息子として、1731年7月21日に生まれた[2]。1739年にウェストミンスター・スクールに入学、一旦中退したが1743年から1748年まで再び同校に通った[1]。
1749年5月、南部省秘書官の1人として南部担当国務大臣の第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの部下になり、1750年にはチャールズ・ハンベリー・ウィリアムズ(母の兄弟にあたるヘンリー・フォックスの友人)の秘書官としてウィリアムズに随行し、神聖ローマ帝国とポーランド・リトアニア共和国を旅した[1]。
1754年イギリス総選挙でウェルズ選挙区から出馬する予定だったが、兄エドワードがウェルズ選挙区から出馬したため、ディグビーは出馬できなかった[1]。フォックスの尽力により1755年11月にジョージ・オーガスタス・セルウィンの支持を受けて、ラガーショル選挙区の補欠選挙で当選した[1][3]。このとき、フォックスが南部担当国務大臣を務めていたため、ディグビーは同11月に南部省政務次官に任命され、1756年にフォックスが退任するとディグビーも政務次官を退任した[1]。1757年11月30日に兄エドワードが死去すると、アイルランド貴族におけるディグビー男爵位を継承した[2]。
1761年イギリス総選挙ではウェルズ選挙区から出馬して、無投票で当選した[4]。1763年4月にグレンヴィル内閣が成立して、フォックスがホランド男爵に叙されると、ディグビーは下級海軍卿(Lord of the Admiralty)に任命され、「次の会期」にグレートブリテン貴族への叙爵を約束されたが、実際に叙爵が行われたのは1765年7月にグレンヴィル内閣が倒れ、ディグビーが下級海軍卿の職を失うときだった[1]。1765年8月、ディグビーはグレートブリテン貴族であるドーセット州におけるシェアボーンのディグビー男爵に叙された[2]。ディグビーには庶民院で演説した記録はなかった[1]。
1790年11月1日、グレートブリテン貴族であるリンカンシャーにおけるディグビー伯爵とウォリックシャーにおけるコーゾル子爵に叙された[2]。
1793年9月25日にシェアボーンで死去、同地で埋葬された[2]。2人目の妻との間の息子エドワードが爵位を継承した[2]。
家族
編集1763年9月4日[1]、エリザベス・フィールディング(Elizabeth Feilding、1742年ごろ – 1765年1月19日没、チャールズ・フィールディング閣下の娘)と結婚、1男をもうけた[2]。
- エドワード(1764年6月20日 – ?) - 夭折[2]
1770年11月10日、メアリー・ノウルズ(Mary Knowles、1794年2月26日没、ジョン・ノウルズの娘[注釈 1])と結婚、3男2女をもうけた[1][5]。
注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j Drummond, Mary M. (1964). "DIGBY, Henry (1731-93), of Minterne House, Cerne Abbas, Dorset". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 354–356.
- ^ Cannon, J. A. (1964). "Ludgershall". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧。
- ^ Cannon, J. A. (1964). "Wells". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 643.
- ^ Thorne, R. G. (1986). "WINGFIELD, William (?1773-1858), of Lincoln's Inn, Mdx.; Sherborne Castle, Dorset and Blythe Hall, Warws.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧。
外部リンク
編集- "ヘンリー・ディグビーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・ジョン・ブランド準男爵 トマス・ヘイワード |
庶民院議員(ラガーショル選挙区選出) 1755年 – 1761年 同職:トマス・ヘイワード |
次代 トマス・ウェートリー ジョン・パターソン |
先代 ロバート・ディグビー チャールズ・タッドウェイ |
庶民院議員(ウェルズ選挙区選出) 1761年 – 1765年 同職:クレメント・タッドウェイ |
次代 ピーター・テイラー クレメント・タッドウェイ |
名誉職 | ||
先代 シャフツベリ伯爵 |
ドーセット統監 1771年 – 1793年 |
次代 リヴァーズ男爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | ディグビー伯爵 1790年 – 1793年 |
次代 エドワード・ディグビー |
ディグビー男爵 1765年 – 1793年 | ||
アイルランドの爵位 | ||
先代 エドワード・ディグビー |
ディグビー男爵 1757年 – 1793年 |
次代 エドワード・ディグビー |