ヘルマン・フォン・フェーリング
ヘルマン・フォン・フェーリング(Hermann von Fehling, 1812年6月9日 - 1885年7月1日)は、ドイツの化学者である。糖の定量試薬であるフェーリング液を開発した。
ヘルマン・フォン・フェーリング | |
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生誕 |
1812年6月9日 自由ハンザ都市リューベック |
死没 |
1885年7月1日(73歳没) ドイツ帝国 シュトゥットガルト |
国籍 | ドイツ |
研究分野 | 化学 |
出身校 | ハイデルベルク大学 |
主な業績 | フェーリング液の研究 |
プロジェクト:人物伝 |
生涯
編集リューベックに生まれ、薬学に興味を持って、1835年頃にハイデルベルク大学に入学した。卒業後はギーセン大学で、パラアルデヒドやメタアルデヒドの組成を解明したユストゥス・フォン・リービッヒに師事した。1839年、リービッヒの勧めを受けてシュトゥットガルトの技術専門学校に就職し、そこで45年以上働くこととなった。シュトゥットガルトで1885年に死去した。
初期の研究には、コハク酸の研究やベンゾニトリルの生成等がある。晩年には、純粋化学よりも工学や公衆衛生学に時間を費やすようになった。
彼が開発した分析手法で最も有名なものは、硫酸銅(II)をアルカリ、酒石酸ナトリウムカリウムと混合したフェーリング液を用いた糖の定量である。
出典
編集- Quantitative Bestimmung des Zuckers im Harn
- H. Fehling (1849). “Die quantitative Bestimmung von Zucker und Starkmehl mittelst Kupfervitriol”. Annalen der Chemie und Pharmacie 72 (1): 106-113. doi:10.1002/jlac.18490720112.
- K. Franz (1925). “Hermann Fehling”. Archives of Gynecology and Obstetrics 127 (1): II-IV. doi:10.1007/BF02055275.
- A. W. Hofmann (1885). “Sitzung vom 13. Juli 1885”. Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft 18 (2): 1811-1820. doi:10.1002/cber.18850180202.
- “Annual General Meeting”. J. Chem. Soc., Trans. 49: 329-356. (1885). doi:10.1039/CT8864900329.
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Fehling, Hermann von". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.