ヘドヴィグ・ルンド
ヘドヴィグ・エリクセン・ルンド(Hedevig Erichsen Lund、結婚前の名前: Hedevig Thorine Christine Erichsen、1824年6月11日 - 1888年3月16日)は、ノルウェーの画家である[1][2]。ノルウエーで、専門的な美術教育を受けて画家になった最初の女性とされる[3] 。肖像画家として働いた。
ヘドヴィグ・ルンド Hedevig Lund | |
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ルンド夫妻 | |
生誕 |
1824年6月11日 ノルウェー、クリスチャンサン |
死没 |
1888年3月16日 (63歳没) ノルウェー、オスロ |
略歴
編集当時スウェーデン=ノルウェー連合王国であったノルウェー南部、アグデル県のクリスチャンサンで生まれた。父親のOle Wilhelm Erichsenは海軍大臣などを務めた人物で[1]、父親が大臣としてストックホルムに赴任していた時に、ストックホルムでヨハン・グスタフ・ケーラー(Johan Gustaf Köhler: 1803–1881) から絵を学んだ[4]。1845年にクリスチャニア(オスロ)の展覧会に出展し、1846年から1847年の間はデュッセルドルフでカール・フェルディナンド・ゾーン(1805-1867)やアドルフ・ティーデマン(1814-1876)のもとで学んだ[5] 。
肖像画家として評価されるようになり、政治家や、富裕層の女性から注文を受けて肖像画を描き、民族衣装を着た女性の人物画も描いた。
1847年に元軍人でエンジニアであり、デュッセルドルフで絵を学んだことのあるベルント・ルンド(Bernt Lund: 1812–1885) と結婚した[1]。1853年から夫がノルウェーの道路管理の役人として働いた時代は夫とノルウエー各地に滞在することになり、あまり絵を描くことは無かったが、夫の肖像画や夫と共作で教会の祭壇画を描いた。1880年にヘデヴィッヒの母親から邸を相続し、この頃から再び夫婦で画家としての活動絵に戻った。夫は作家、詩人としても活躍したが1885年に亡くなった。
ヘドヴィグ・ルンドは1888年にクリスチャニアで亡くなった。エンジニアなどになった2人の息子がいた。いとこに画家になったオラフ・イサクセン(1835-1893)がいる。
作品
編集-
バルコニーにいる民族衣装の女性 (1849)
オスロ国立美術館 -
女性の肖像画
オスロ国立美術館 -
Gustav Peter Blomの肖像画 (1853)
ノルウェー民俗博物館
参考文献
編集- ^ a b c Bernt Lund i 'Norsk biografisk leksikon'
- ^ ”Hedevig Lund”. Norsk kunstnerleksikon. Nasjonalbiblioteket. Läst 13 juli 2020.
- ^ (ノルウェー語 (ブークモール)) Ei av de første 2020年7月9日閲覧。
- ^ Wichstrøm, Anne (2017-02-20). “Hedevig Lund” (ノルウェー語). Norsk kunstnerleksikon .
- ^ Norsk kunstnerleksikon, 2 : H-M side 808