ヘドヴィガ・ローゼンバウモワ
ヘドヴィガ・ローゼンバウモワ(Hedwiga Rosenbaumová, 1880年7月3日 - 1939年7月31日)は、ボヘミア(現在のチェコ西部・中部地方)出身の女子テニス選手。近代オリンピックにおいて女性の参加が認められた1900年パリ五輪で、テニス競技に初参加した6人の女子選手の1人である。
オリンピック | ||
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ボヘミア | ||
テニス | ||
オリンピック | ||
銅 | 1900 パリ | 女子シングルス |
銅 | 1900 パリ | 混合ダブルス |
来歴
編集近代オリンピックの第1回大会は1896年にギリシャ・アテネで始まったが、女子スポーツ選手の参加が認められたのは第2回大会の1900年パリ五輪からである。オリンピックのテニス競技では、このパリ大会から「女子シングルス」と「混合ダブルス」が始まり、6人の女性がエントリーした。ヘドヴィガ・ローゼンバウモワは「ボヘミア」国籍の選手として登録されている。出場選手が6名だったことから、女子シングルスでは1回戦の2試合を実施して、準決勝の4名に絞った。ローゼンバウモワは1回戦を免除されたが、準決勝でフランス代表のエレーヌ・プレボーに 1-6, 1-6 で完敗した。準決勝敗退の2名による「銅メダル決定戦」は実施されず、ローゼンバウモワとアメリカ代表のマリオン・ジョーンズが最初の女子シングルス銅メダルを獲得した。
6人の女子選手たちは、すべて混合ダブルス部門にもエントリーし、それぞれパートナーを選んでプレーした。最初期の近代オリンピックは、国単位ではなく個人でエントリーしたことから、混合ダブルスには違う国の選手による「混合チーム」もあった。ローゼンバウモワはイギリス代表のアーチボルド・ワーデンと混合チームを組み、ここでは1回戦でフランスペアを破って準決勝に進んだ。2人は準決勝で、同じく混合チームのハロルド・マホニー(イギリス代表として登録)&エレーヌ・プレボー組に 3-6, 0-6 で敗れ、ローゼンバウモワは単複とも準決勝でプレボーに敗れた。ローゼンバウモワの2つの銅メダルのうち、女子シングルスは「ボヘミア」の獲得メダルに数えられるが、混合ダブルスは「混合チーム」のメダルとして数えられる。彼女は近代オリンピックに初参加した6人の女子テニス選手の1人として、オリンピックの歴史に名前を残した。
外部リンク
編集- アテネオリンピックテニス・メディアガイド (英語、全146ページのPDFファイル)
- ヘドヴィガ・ローゼンバウモワ - Olympedia (英語、オリンピックのデータベースサイト) ローゼンバウモワの生没年が判明した最初の文献資料。