ヘイザル・ヘルグソン
ヘイザル・ヘルグソン(Heiðar Helguson, 1977年8月22日 - )は、アイスランド・ダールヴィーク出身の元同国代表選手サッカー選手である。現役時代のポジションはフォワード。ヘルグソンは、母国のUMFSダールヴィークとプロットゥル・レイギャヴィークでキャリアを始めた。ポーランドのシュチャコヴィアンカ・ヤヴォジュノとノルウェーのリールストレームSKにそれぞれ1シーズン過ごした後、1999年にイングランドのワトフォードFCへ150万ポンドの移籍金で加入した。ワトフォードに加入した際にヘルグソンの名前を英国メディアは、イングランドで一般名として知られているハイダー"Heidar"と英語化して伝えた。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Heiðar Helguson | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アイスランド | |||||
生年月日 | 1977年8月22日(47歳) | |||||
出身地 | ダールヴィーク | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1993-1994 1994-1997 1997-1998 1998-1999 1999-2005 2005-2007 2007-2009 2008-2009 2009-2012 2009 2010 2012-2013 |
UMFS プロットゥル シュチャコヴィアンカ リールストレーム ワトフォード フラム ボルトン → QPR (loan) QPR → ワトフォード (loan) → ワトフォード (loan) カーディフ |
11 54 (31) 12 (4) 43 (18) 174 (55) 57 (11) 7 (2) 7 (3) 68 (24) 10 (5) 19 (6) 4 (1) (5) | ||||
代表歴2 | ||||||
1994-1996 1997-1999 1999-2011 |
アイスランド U-19 アイスランド U-21 アイスランド |
18 6 (1) 55 (12) (2) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年9月3日現在。 2. 2012年7月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ワトフォードへ移籍した最初のシーズンでクラブは降格してしまったが、ヘルグソン本人はゴールを量産した。2005年にフラムFCへ移籍するまで1999-2000, 2002-03, 2004-05シーズンはチーム内得点王だった。ヘルグソンは、2009年にフットボールリーグ・チャンピオンシップのクイーンズ・パーク・レンジャーズFCに移籍する前に、2005年から2007年の間とボルトン・ワンダラーズFCで2009年までプレミアリーグでプレーした。2009-10シーズンに、ワトフォードへのローン移籍から翌年に復帰すると、2010-11シーズンからQPRでレギュラーとしてプレー。リーグ優勝を果たし、1995-96シーズン以来となるプレミアリーグ昇格へ貢献した。再昇格1年目の2011-12シーズンは最終節で何とか残留に漕ぎ着け、ヘルグソン本人はチーム内得点王になった。その後、カーディフ・シティFCへ加入した。
ヘルグソンはU-19, U-21とプレーし得点を決め、1999年にA代表デビューを果たした。2011年に代表引退するまでの間に55試合12得点を記録した。
経歴
編集初期
編集ヘイザル・ヘルグソンは、1977年8月22日にアイスランド北部の町ダールヴィークで生まれた。1985年8歳の時に地元のUMFSダールヴィークでサッカーを始めた。ここの下部組織(U-10, U-12, U-15等)で8年過ごし、まだ13歳ながらリザーブチームでデビューした。1993年15歳になるとトップチームで試合に出場するようになり、翌1994年16歳の時には、11試合に出場5得点を記録した。
プロットゥル・レイギャヴィークでは、3シーズンで54試合31記録するヘルグソンにニューカッスル・ユナイテッドFCやセント・ミレンFC、1.FCカイザースラウテルンなど欧州1部リーグのクラブが関心を集めたにもかかわらず、クラブは1997年に、ポーランド2部のシュチャコヴィアンカ・ヤヴォジュノとあまり知られていないクラブへ売った。ヘルグソンは、最初の12試合で4得点を記録するが、クラブは1997-98シーズンの終わりにエクストラクラサ昇格に失敗したため、ノルウェー1部のリールストレームSKへ売った。
リールストレーム
編集ヘルグソンはポーランドで短期間過ごした後に、1998年秋リールストレームへ到着した。不思議なことにヘルグソンは、背番号1を着用して10月に移籍後デビューをした。次のシーズンになると、16ゴールを挙げ活躍し、ノルウェーサッカー界にとって大変なサプライズを提供した(デビューシーズンは2得点しか決められなかったこともあった)。この活躍から"The Helgusonsons"というファンクラブが出来るほど人気選手になった。
ワトフォード
編集1999-2000シーズン途中に、グレアム・テイラー監督率いるワトフォードFCへクラブレコードとなる移籍金150万ポンドで加入した。FW陣の戦力アップに連れてこられたヘルグソンは、ホームでリヴァプールFC相手にゴールを決めるなど好プレーを見せ順調なデビューを果たした。途中の加入ながら5得点以上を挙げ奮闘したが、チームはプレミアリーグに残留することは出来なかった。
1年で2部へと戻ってきたチームは、最初の15試合で無敗と躍進し、ヘルグソンもそのメンバーの1人として貢献していた。しかし、後半戦になると調子を崩していくと、それに伴いなかなかゴールを決められないヘルグソンへの信頼も下がっていった。シーズンの終わりにテイラー監督が退任すると、新たに就任したジャンルカ・ヴィアリ監督は、ヘルグソンをウィングバックのポジションにチェンジした。[1]
2002-03シーズンに監督がレイ・レウィントンになるとヘルグソンの状態は改善していった。怪我の影響で9月までスタートを切れなかったが、FAカップ準決勝でのゴールを含めチームトップとなる13ゴールを挙げた。2003-04シーズンは、再び怪我に見舞われ前半戦の殆どの欠場を余儀なくされたが、復帰するとFAカップのチェルシーFC戦などで好調なパフォーマンスを見せた。
2004-05シーズンは、ヘルグソンがワトフォードへ移籍して最高のシーズンとなった。あまり怪我することもなく20ゴールを記録すると、シーズンの終わりには、ゴール・オブ・ザ・シーズン, ディスプレイ・オブ・ザ・シーズン, チームのプレイヤー・オブ・ザ・シーズン等様々な賞を受賞した。この活躍からプレミアリーグのクラブから関心をもたれた。チームはお金を必要としていたため、フラムFCからのオファーを受け入れた。
フラム
編集2005年6月27日にフラムと契約した[2]が、シーズンの序盤は主にベンチで過ごした。リーグカップのリンカーン・シティFC戦で移籍後初ゴールを決め5-4の勝利に貢献した。ヘルグソンとブライアン・マクブライドの前線のコンビはプレミアリーグの様々な守備陣を混乱に陥れた。ヘルグソンは、チェルシーFC戦(PK), アストン・ヴィラFC戦(PK), ウェストハム・ユナイテッドFC戦(左足で先制点), マンチェスター・ユナイテッドFC戦(ヘディングで先制点), 6-1で勝利したウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦(2得点), ボルトン・ワンダラーズFC戦(FKからヘディングで得点), ミドルズブラFC戦(PK)と様々な試合で得点した。2006-07シーズン開幕時には背番号10から9に変更された。
ボルトン
編集フラムがデイヴィッド・ヒーリーとディオマンシ・カマラを獲得したことにより、選択肢の1人としての立場を余儀なくされたヘルグソンは、2007年7月20日にサミー・リー監督が率いるボルトン・ワンダラーズFCへ移籍金非公開・3年契約で加入した。
2007年8月11日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦で、負傷したケヴィン・デイヴィスと交代で移籍後初出場を果たした。4日後の古巣フラムFC戦で初ゴールを挙げるも、チームは1-2で敗北した。
2008年1月にニコラ・アネルカがチェルシーFCへ移籍したことによる攻撃力低下が懸念されたチームに、同月の終わりに怪我から復帰したヘルグソンは歓迎された。復帰後第1戦は、古巣フラム戦に残り8分の所で出場、結果は0-0のスコアレスドローだった。4日後のレディングFC戦で復帰後初ゴールを決め2-0で勝利した。
ボルトンは、ヘルグソンをプレシーズンのトレーニングに参加させるため、2008年5月にベルギーで手術を受けさせた。
QPR
編集ヘルグソンが、11月20日にクイーンズ・パーク・レンジャーズFCへ2009年1月までの短期レンタルが発表された。[3]しかし、金曜日になるまで加入することが出来なかった。[4]
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦で移籍後初出場を果たすもゴールは決めることが出来ず、2試合目のシェフィールド・ウェンズデイFC戦でもノーゴールに終わった。プリマス・アーガイルFC戦で初ゴールを決めると、プレストン・ノースエンドFC戦で2ゴール、ブラックプールFC戦で再び2ゴールを挙げ、最初の10試合で5ゴールを記録した。この活躍から1月2日に移籍金非公開でQPRへ完全移籍を果たした。[5]
2009-10シーズンの殆どをレンタル先のワトフォードFCで過ごし、シーズン終了に伴いQPRへ戻った。復帰した2010-11シーズンのヘルグソンは、レギュラーの座を勝ち取り、ロンドンのライバルであるクリスタル・パレスFCをホームのロフタス・ロードで決勝ゴールを決めたのを含め13ゴールを記録。また、チームは同シーズンを優勝した。プレミアリーグへ昇格した2010-11シーズン、ヘルグソンはニール・ウォーノック監督の下でレギュラーとしてプレーし、最大のライバルであるチェルシーFC戦でダヴィド・ルイスに倒されPKを獲得、自らPKを決めると、これが決勝ゴールとなり1-0で勝利。このウェスト・ロンドン・ダービーの勝利は、プレミアリーグ創設後に初勝利した1996年から15年以上も経過していた。その後、アウェーのストーク・シティFC戦では、見事なヘディングゴールと押し込んで決めたゴールで2得点を決め3-2と勝利した。2011年12月3日に、1-1と引き分けたウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦でヘディングゴールを決めると、QPRのクラブ記録となるホームでの最多得点記録に並んだ。鼠径部の負傷により、後半戦の殆どを欠場しなければならなかったものの、全大会で記録した9ゴールはチーム内トップだった。シーズン最終戦でマンチェスター・シティFC相手に2-3と敗北したが、かろうじて降格を回避した。
ワトフォードに戻る
編集2009年9月15日に、QPRから3ヶ月のレンタルで2000年から2005年の間にプレーしたワトフォードFCへ加入した。[6]復帰第1戦のレスター・シティFC戦では、チームメイトが負傷したため後半から途中出場をすると、2ゴール1アシストとすぐさまインパクトを残した。レンタル期間中の4試合目、ヴィカレッジ・ロードでのスカンソープ・ユナイテッドFC戦で移籍後通算4ゴール, 5ゴール目を記録した。[7]12月28日にレンタル期間が終了したが、クラブは何とか慰留させるのではないかと憶測を呼んだ。[8]1月11日に、両クラブはレンタル期間をシーズンの終了まで延長したことを発表した。[9][10]
カーディフ
編集2012年8月2日に、移籍金非公開・契約期間1年・背番号22でカーディフ・シティFCへ加入した。[11]ヘルグソンは、プレシーズンマッチのAFCボーンマス戦で移籍後初ゴールを決めると、8月14日のリーグカップのノーサンプトン・タウンFCで2ゴール目を決めた。8月25日のセヴァーンサイド・ダービーで、リーグ戦初ゴールを決めるも2-4で敗北した。12-13シーズンが終了し、契約が切れるとそのままチームを離れた。
代表
編集ヘルグソンは、1999年4月に行われたマルタ代表との親善試合でリカルズル・ダザソンと交代で代表デビューをした。2011年10月までに55試合に出場、12ゴールを記録した。[12]2004年FAサマートーナメントで3ゴールし得点王となった。2006年8月にスペイン代表との親善試合でプレーした後、長期間代表に招集されなかったため、2007年6月にヘルグソンは代表引退を発表した。
2008年8月28日に代表へ復帰することを発表すると、数日後に行われるノルウェー代表とスコットランド代表に向けたメンバーに選ばれた。すると、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でノルウェー相手にゴールを決め2-2で引き分けた。[13]
2010年10月12日のUEFA EURO 2012予選でポルトガル代表相手にゴールを決めた。
個人成績
編集クラブでの出場記録
編集クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグ杯 | 国際大会 | 通算 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
イングランド | リーグ | FAカップ | FLカップ | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
1999-00 | ワトフォード | プレミアリーグ | 16 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 16 | 6 | |
2000-01 | ファースト・ディヴィジョン | 33 | 8 | 1 | 0 | 3 | 1 | - | 37 | 9 | ||
2001-02 | 34 | 6 | 1 | 0 | 5 | 1 | - | 40 | 7 | |||
2002–03 | 30 | 11 | 4 | 2 | 0 | 0 | - | 34 | 13 | |||
2003–04 | 22 | 8 | 1 | 1 | 1 | 0 | - | 14 | 9 | |||
2004–05 | チャンピオンシップ | 39 | 16 | 2 | 1 | 5 | 3 | - | 46 | 20 | ||
2005-06 | フラム | プレミアリーグ | 27 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | - | 29 | 10 | |
2006-07 | 30 | 3 | 3 | 0 | 1 | 1 | - | 34 | 4 | |||
2007-08 | ボルトン | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | 2 | |
2008-09 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 2 | 0 | |||
2008-09 | QPR (ローン) | チャンピオンシップ | 20 | 5 | 1 | 0 | - | - | 21 | 5 | ||
2009-10 | QPR | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 5 | 1 | ||
2009-10 | ワトフォード (ローン) | 29 | 11 | - | 0 | 0 | - | 29 | 11 | |||
2010-11 | QPR | 34 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 29 | 11 | ||
2011-12 | プレミアリーグ | 16 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 19 | 9 | ||
2012-13 | カーディフ | チャンピオンシップ | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | - | 5 | 2 | |
総通算 | 345 | 107 | 17 | 4 | 18 | 9 | 2 | 0 | 383 | 121 |
脚注
編集- ^ Where are they now? Part 4
- ^ Heidar Helguson Fulham Player Profile Archived 2007年4月4日, at the Wayback Machine.
- ^ Helguson is a loan ranger Archived 2012年6月30日, at Archive.is
- ^ Helguson seals QPR move
- ^ Helguson seals permanent QPR deal
- ^ Heidar heads back to Hornets
- ^ Watford 3 - 0 Scunthorpe
- ^ Hornets continue loan talks
- ^ Heider Extends Loan Archived 2012年3月27日, at the Wayback Machine.
- ^ Heider Returns To Hornets Archived 2012年3月20日, at the Wayback Machine.
- ^ Deal Done: Heidar Helguson Archived 2012年9月4日, at the Wayback Machine.
- ^ Félagsmaður
- ^ Íslenski landsliðshópurinn - Heiðar Helguson að nýju í hópnum