プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)1912
プリメーラ・ディビシオン1912はアルゼンチンのサッカーリーグ1部、プリメーラ・ディビシオンの第20回目のシーズン[1]である。アルゼンチンサッカー協会 (AAF)と分裂団体「フェデラシオン・アルヘンティーナ・デ・フットボール (FAF)」がそれぞれ別個にリーグ戦を開催した[2]。
プリメーラ・ディビシオン | |
開催国 | アルゼンチン |
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優勝 | キルメスAC (AAF) |
準優勝 | CAポルテーニョ (FAF) |
← 1911 1913 → |
コパ・カンペオナート (AAF)
編集
優勝したキルメスACの選手たち | |
シーズン | 1912 |
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優勝 | キルメスAC (1回目) |
得点王 |
アルベルト・オアコ (ラシン・クルブ) (10点) |
1912年4月14日から12月13日まで6チームによる2回戦総当たりのリーグ戦形式で行われた。昨季の9チームに昇格組エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタを加えて10チームで争われる予定だったのだが、まず最多優勝チームのアルムニACが協会から突如脱退・解散した。さらにエストゥディアンテスLP、ヒムナシア・イ・エスグリマ・デ・ブエノスアイレス、CAポルテーニョは協会を離脱して分裂団体FAFを立ち上げた。こうして残った6チームが協会側のプリメーラ・ディビシオンを戦った。降格チームはなかった[3]。
優勝したキルメスACは、アルムニから移籍してきたイギリス人プレイヤーを多数そろえていた[4]。
結果
編集順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 出場権 |
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1 | キルメスAC (C) | 10 | 7 | 1 | 2 | 24 | 8 | +16 | 15 | |
2 | CAサン・イシドロ | 9 | 5 | 1 | 3 | 16 | 22 | −6 | 11 | |
3 | ラシン・クルブ | 10 | 4 | 2 | 4 | 24 | 16 | +8 | 10 | |
4 | エストゥディアンテス・デ・ブエノスアイレス | 9 | 4 | 0 | 5 | 15 | 18 | −3 | 8 | |
5 | ベルグラーノAC | 10 | 3 | 1 | 6 | 20 | 20 | 0 | 7 | |
6 | CAリーベル・プレート | 10 | 3 | 1 | 6 | 8 | 23 | −15 | 7 |
(C) 優勝.
FAFのプリメーラ・ディビシオン
編集
優勝したCAポルテーニョの選手たち | |
シーズン | 1912 |
---|---|
優勝 | CAポルテーニョ (1回目) |
... | |
得点王 |
エルネスト・コリャ (CAインデペンディエンテ) (12点) |
アルゼンチンサッカー協会を離脱した上記の3クラブは、セグンダ・ディビシオンに在籍していたアルヘンティーノ・デ・キルメス、CAアトランタ、CAインデペンディエンテ、キンベルレイACを糾合し、1912年7月にフェデラシオン・アルヘンティーナ・デ・フットボール (アルゼンチンサッカー連合)を結成。さらに誕生間もないソシエダ・スポルティーバ・アルヘンティーナも加え、同月中に自分たちのプリメーラ・ディビシオンを開幕させた。1912年7月14日から12月23日まで協会側リーグと同じ形式で行われ、優勝決定戦を経てCAポルテーニョが初優勝した[5]。
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 出場権 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | CAインデペンディエンテ | 14 | 9 | 2 | 3 | 33 | 12 | +21 | 20 | |
2 | CAポルテーニョ | 14 | 8 | 4 | 2 | 24 | 10 | +14 | 20 | |
3 | エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ | 14 | 8 | 3 | 3 | 23 | 14 | +9 | 19 | |
4 | ヒムナシア・イ・エスグリマ・デ・ブエノスアイレス | 14 | 7 | 4 | 3 | 26 | 18 | +8 | 18 | |
5 | アルヘンティーノ・デ・キルメス | 14 | 7 | 3 | 4 | 34 | 27 | +7 | 17 | |
6 | CAアトランタ | 14 | 6 | 0 | 8 | 24 | 28 | −4 | 12 | |
7 | キンベルレイAC | 14 | 2 | 2 | 10 | 17 | 48 | −31 | 6 | |
8 | ソシエダ・スポルティーバ・アルヘンティーナ | 14 | 0 | 0 | 14 | 6 | 30 | −24 | 0 |
優勝決定戦
編集CAインデペンディエンテとCAポルテーニョの勝ち点が首位タイだったため、優勝決定戦を行った。
日付 | チーム1 | チーム2 | 結果 | 会場 | 開催都市 |
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12月23日 | CAポルテーニョ | CAインデペンディエンテ | 1–1 |
エスタディオGEBA | ブエノスアイレス |
脚注
編集- ^ 1891年のリーグをカウントしない場合。
- ^ Osvaldo José Gorgazzi. “Domestic Championships 1912”. RSSSF. 2022年4月27日閲覧。
- ^ “Argentina: 1ra. División Asociación Argentina 1912”. Historia y Futbol. 2022年4月27日閲覧。
- ^ Alejandro Fabbri (2020年4月24日). “Historia y curiosidades de Alumni, el primer gran campeón argentino”. TyC Sports. 2022年4月27日閲覧。
- ^ “Posiciones Campeonato Argentino 1912. Primera División”. MUSEO DE FÚTBOL. 2022年4月27日閲覧。