プリシラ・バーティー (第21代ウィラビー・デ・エアズビー女男爵)
第21代ウィラビー・デ・エアズビー女男爵プリシラ・バーバラ・エリザベス・バーティー(英語: Priscilla Barbara Elizabeth Bertie, 21st Baroness Willoughby de Eresby、1761年2月16日 – 1828年12月29日)は、イギリスの貴族。
生涯
編集第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティーとメアリー・パントンの長女として、1761年2月16日に生まれた[1]。
1779年2月23日、ピーター・バレル(後の初代グウィディア男爵)と結婚、3男1女をもうけた。
- ピーター(1782年 – 1865年) - 第22代ウィラビー・デ・エアズビー男爵、第2代グウィディア男爵
- リンジー・メリック・ピーター(Lindsey Merrick Peter、1786年6月20日 – 1848年1月1日) - 1807年7月13日、フランシス・ダニエル(Frances Daniell、ジェームズ・ダニエルの末娘)と結婚、第4代グウィディア男爵ピーター・バレルをもうけた
- ウィリアム・ペレグリン・ピーター(William Peregrine Peter、1788年10月1日 – 1852年7月27日)
- エリザベス・ジュリア・ジョージアナ(Elizabeth Julia Georgiana、1879年4月30日没) - 1826年4月14日、第2代クレア伯爵ジョン・フィッツギボンと結婚
兄にあたる第4代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ロバート・バーティーが1779年7月8日に死去すると、ウィラビー・デ・エアズビー男爵の爵位はプリシラと妹ジョージアナの間で停止状態になり、1780年3月18日に男爵位がプリシラに帰属する形で解消された[1]。一方、式部卿の継承権はジョージアナとの間で継承され、プリシラは継承権の半分を得て、以降長男ピーターを経てその子孫がさらに分割相続した。
脚注
編集- ^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 52.
イングランドの爵位 | ||
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停止 最後の在位者 ロバート・バーティー
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ウィラビー・デ・エアズビー女男爵 (1780年、停止状態解消) 1780年 – 1828年 |
次代 ピーター・ドラモンド=バレル |