プトレマイオス11世
プトレマイオス11世アレクサンドロス2世(希:Πτολεμαίος ΙΑ' Αλέξανδρος Β'、英:Ptolemy XI Alexander II、紀元前115年頃 - 紀元前80年)は、古代エジプト、プトレマイオス朝のファラオ(在位:紀元前80年)。父はプトレマイオス10世。母親については、ベレニケ3世、クレオパトラ5世セレネと説が分かれる。プトレマイオス朝最後の直系の王。
プトレマイオス11世 | |
---|---|
Πτολεμαίος ΙΑ' Αλέξανδρος Β | |
古代エジプト ファラオ | |
統治期間 | 紀元前80年,プトレマイオス朝 |
前王 | プトレマイオス10世 |
次王 | プトレマイオス12世 |
ファラオ名 (五重称号)
| |
配偶者 | ベレニケ3世 |
父 | プトレマイオス10世 |
母 | クレオパトラ5世セレネ / ベレニケ3世 |
出生 | 紀元前115年頃 |
死去 | 紀元前80年 |
生涯
編集祖母クレオパトラ3世、父プトレマイオス10世がセレウコス朝と戦った際、財宝を持ちコス島へ避難するも、ローマと戦っていたポントス王ミトリダテス6世の捕虜とされる。その後、ローマへ亡命。
紀元前81年、プトレマイオス9世が死去すると、エジプトではベレニケ3世が単独で統治を行なうが、ローマのルキウス・コルネリウス・スッラの援助を取り付けたプトレマイオス11世は、プトレマイオス10世の遺志と称して帰国し、ベレニケ3世と強引に結婚し即位した(紀元前80年)。共同統治を始めた二人だったが、プトレマイオス11世は結婚の19日後に彼女を暗殺した。これに怒ったアレクサンドリア市民の暴動で彼は殺害された。