ブロウアップ ヒデキ』(BLOW UP! HIDEKI)は、1975年10月10日に公開された西城秀樹ドキュメンタリー映画である[1][2][3][4]。配給は松竹映画芸映プロダクションロックコンサートの日本版記録映画としての嚆矢と評価される[1]

ブロウアップ ヒデキ
BLOW UP! HIDEKI
監督 田中康義
製作 瀬島光雄
出演者 西城秀樹
主題歌 『ブローアップ・マン』
西城秀樹
撮影 坂本典隆
羽方義昌
編集 池田禅
配給 松竹映画
芸映プロダクション
公開 日本の旗 1975年10月10日
上映時間 87分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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概要

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アイドル時代の絶頂期ともいえる西城秀樹の1975年7月20日から8月24日まで開催された『西城秀樹・全国縦断サマーフェスティバル』の模様を追って撮影された[3][5][6]富士山麓特設野外ステージでの開幕公演は、クレーン車で吊り上げたゴンドラでの絶唱、ヘリでの客席上空すれすれの旋回など、21世紀の現在では実現不可能ともいわれる迫力あるもの[5]

キャスト

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スタッフ

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劇中曲

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  1. オープニング
    作曲:惣領泰則
  2. Get Dancin’
    作詞・作曲:Bob Crewe & Kenny Nolan
  3. ブロー・アップ・マン
    作詞:一の宮はじめ 作曲・編曲:惣領泰則
  4. 悲しみのアンジー
    作詞・作曲:Mick Jagger & Keith Richards
  5. 恋の暴走
    作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二
  6. 情熱の嵐
    作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二
  7. グッド・バイ・ガールズ
    作詞:一の宮はじめ 作曲・編曲:惣領泰則
  8. 愛の十字架
    作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二
  9. 傷だらけのローラ (フランス語)
    作詞:さいとう大三 作曲・編曲:馬飼野康二
  10. この愛のときめき
    作詞:安井かずみ 作曲・編曲:あかのたちお
  11. 旅は気ままに
    作詞:たかたかし 作曲・編曲:馬飼野康二
  12. 激しい恋
    作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二
  13. 青春に賭けよう
    作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二
  14. 至上の愛
    作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二
  15. グッド・バイ・ガールズ
    作詞:一の宮はじめ 作曲・編曲:惣領泰則
  16. エンディング
    作曲:惣領泰則

製作

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撮影

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松竹はスタッフ40人、劇場用カメラ5台、レンズ40本、ヘリコプター1機、バス2台、ワゴン車2台と松竹大船撮影所の機材を7割方運び込み[7]、当時スタジオで撮影中だった『男はつらいよ 葛飾立志篇』の撮影に支障をきたした[7]。 これに対抗して日本テレビは東京からビデオカーを繰り出し、21歳の西城の内面をキメ細かく追ったが、松竹と日本テレビの撮影クルーが現場でしばしばぶつかった[8]。 松竹が1975年9月20日から全国公開すると発表すると日本テレビが激怒[8]、日本テレビは1975年9月25日の『木曜スペシャル』枠で放送することを決めていたため「放送前に先に松竹に公開されては番組の商品価値が半減する。番組を作るときの契約ではテレビが優先だった」と西城の所属する芸映を突き上げ、「ご無理、ごもっとも」と芸映、松竹とも日本テレビに平伏[7][9]。『ブロウアップ ヒデキ』は同年10月10日に公開延期を余儀なくされた[8]。 この醜態に城戸四郎松竹会長が「テレビや芸能プロに振り回されるとは何事か!」と激怒し、三嶋与四治企画本部長のクビが飛び、81歳の城戸会長が再び映画製作本部長として現場に復帰、第一線で指揮を執ることになった[8][9]

1975年7月20日、富士山麓の特設野外ステージを皮切りに西城初の全国縦断ツアーがスタート。札幌秋田盛岡仙台広島など、日本各地をまわったその踏破距離はおよそ5000キロにも及ぶ。巨大なスピーカーボックスから響きわたるサウンドと、キレのあるパフォーマンスで観客を魅了する西城の姿を10台の劇場用カメラにてフィルムに捉えた。8月24日、大阪スタヂアム(大阪球場)でエンディング・フェスティバルが行われた。

熱量あふれるステージパフォーマンスだけでなく、旅の合間に1日設けられたオフに沖縄の砂浜で夏を楽しむ西城の姿も披露。さらにステージを降りて1人の青年に戻った西城が、ためらいながらも自分の言葉で青春や愛を語るインタビューも記録されている[5][6][10]

オープニングクレジットを挟んで、日大藤沢高運動部の練習風景やライブリハーサルなど10分程度、湘南あたりの景色が映った後、メインイベントである富士山麓緑の休暇村での野外ライブの会場設営風景[3][6]。これらはエンディング近くでもフラッシュバックされる。軍手の普及前なのか作業をする人が誰も軍手をはめていない。その後、安田火災海上本社ビルが建設中の西新宿新宿中央公園に集合したファンがバスで現地に向かう[6]。新宿中央公園の周りはまだ空き地でビルは全く建っていない。バスの窓を全開しているため、まだ冷房完備ではないのか、当時の夏はそこまで暑くないのかもしれない。会場でインタビュアーに聞かれたファンの女の子が「富士には月見草がよく似合うって太宰治が言ったでしょう…太陽にはヒデキが似合うと思う」と洒落たことを言う。飲み物を売る露店に懐かしのプラッシーやシロップだけか色の付いていないかき氷が売られている[6]。ファンはほぼ100%女性。灼熱地獄の近年の夏では考えられないが、帽子を被ってない人の方が多く、被っていても頭頂部が空いた簡易な帽子。巨大スクリーンのない時代でもあり、西城がしばしばクレーン車に乗って降臨する[3][10]。その富士山ライブが3分の1近くあり、以降は全国縦断コンサート『西城秀樹 '75全国縦断サマー・フェスティバル BLOW UP! HIDEKI FromMt.FUJI・To OSAKA STADIUM』の映像。曲の間に全国各地の映像が挟まれながら、西城の当時の心境が語られる[6]札幌市大倉山ジャンプ競技場大通公園札幌市時計台北海道厚生年金会館沖縄。出身地の広島市では原爆ドームの他、母校・二葉中学校を訪れ、幼少期の思い出が語られる[6]。1時間前後の10数分とエンディング前が前年に続き2回目の大阪球場ライブ。こちらも富士山ライブ同様、会場設営から映す。登場はハヤシレーシングの赤のレーシングカーで、会場内はシボレー・コルベットの赤のオープンカーで周る[6]。この後宮崎市一ツ葉道路を歩く姿が映り、大阪球場の後、宮島の大鳥居広島郵便貯金会館福岡市民会館、宮崎市民会館、名古屋城夏祭り金魚すくい等、各地のこの年の夏の風景が映り、オーラスは夕陽の海で西城が泳ぐ。ホールでの歌唱はどこの会場でのものかは分からない。

ビデオ

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『ブロウアップ ヒデキ』
西城秀樹ライブ・ビデオ
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル 松竹
ソニー・ミュージックダイレクト
西城秀樹 映像作品 年表
'85 HIDEKI Special in Budokan - for 50 songs -
(1985年)
ブロウアップ ヒデキ
(1985年)
TWILIGHT MADE …HIDEKI
(1985年)
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  • 劇場公開から約10年後の1985年3月21日に、松竹から復刻ビデオ作品(VHS)が発売された。
  • また劇場公開から40年後の2015年7月15日には、松竹からDVDが発売されている。タイトルは『ブロウアップ ヒデキ 豪華版(DVD)[10]
  • さらに2015年7月15日発売の復刻DVD『THE STAGES OF LEGEND - 栄光の軌跡 - HIDEKI SAIJO AND MORE』(9枚組)の中の8枚目にも収録されている[10]

再上映

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2018年7月17日に東京・名古屋・大阪のライブハウスZeppで、43年ぶりとなる再上映が行われた[4][10][11]

美術館上映

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2023年11月25、26日に京都国立近代美術館(MoMAK)の開館60周年記念プログラムの一つ「戦後日本映画を振り返る: それぞれの青春――アイドルと映画」の一本として『セーラー服と機関銃 完璧版[再タイミング版]』とともに上映された[1]

テレビ放映

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西城秀樹の一周忌追悼番組として2019年5月16日にWOWOWで放送された他[5][10]、2024年7月26日には「カリスマ集結!灼熱の音楽映画フェス!」の一本としてBS松竹東急で放送された[2]。冒頭に「この作品には、配慮が必要と思われる表現がありますが、作品の意図を尊重し、オリジナルのまま放送します。」とテロップが流れる。終わりかけの頃、女性ファンが「き」で始まる言葉を言うのがこれに該当するものと見られる。

関連作品

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脚注

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  1. ^ a b c MoMAK開館60周年 戦後日本映画を振り返る: それぞれの青春――アイドルと映画京都国立近代美術館、2023年。2024年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧
  2. ^ a b BS松竹東急 7/26(金)『ブロウアップ ヒデキ』放送!」『松竹シネマ+』松竹、2024年7月16日。2024年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月7日閲覧
  3. ^ a b c d BLOW UP! HIDEKI STORY」『OTONANO』ソニー・ミュージックダイレクト。2023年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧【Part3】|西城秀樹ミュージック・ストーリー 会員限定」『OTONANO』ソニー・ミュージックダイレクト、2023年12月15日。2025年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月7日閲覧
  4. ^ a b 西城秀樹、43年前の記録映画『ブロウアップ ヒデキ』、7/17(火)ライヴハウス上映(東京のみ)は、完売につきアンコール上映決定!名古屋・大阪は、追加席発売中!」『日刊工業新聞』日刊工業新聞社、2018年7月4日。2025年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧
  5. ^ a b c d ブロウアップ ヒデキ”. WOWOW. 2024年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 山本弘子 (2019年4月19日). “20歳の西城秀樹がよみがえる!「ブロウアップ ヒデキ」の情熱”. HOMINIS. スカパーJSAT. 2021年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧。
  7. ^ a b c 「内幕ニュース 西城秀樹をめぐり血みどろの強奪合戦 テレビ局vs.映画会社」『週刊平凡』1975年8月21日号、平凡出版、178-179頁。 
  8. ^ a b c d 「サンデートピックス ヒデキでテレビに負けた」『サンデー毎日』1975年9月21日号、毎日新聞社、42頁。 
  9. ^ a b 「現場に復帰した81歳の城戸会長」『週刊文春』1975年9月25日号、文藝春秋、27頁。 
  10. ^ a b c d e f 鈴木英之 (2019年5月26日). “WOWOW一周忌追悼番組 西城秀樹「YOUNG MANよ永遠に」”. WebVANDA. VANDA. 2024-12-0時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧。
  11. ^ 西城秀樹のツアードキュメンタリー映画 43年ぶりに上映」『NEWSポストセブン小学館、2018年7月6日。2020年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月8日閲覧

外部リンク

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