ブルース・マシューズ
ブルース・マシューズ(Bruce Matthews 1961年8月8日- )はノースカロライナ州ローリー出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのヒューストン・オイラーズ/テネシー・オイラーズ/テネシー・タイタンズで1983年から2001年までプレーした。ポジションはオフェンスラインマン。NFL史上最良のオフェンスラインマンの1人と考えられている[1]。プロボウル選出は14年連続14回で、2012年現在NFL最多タイ記録[2]。現役引退後はNFLチームのアシスタントコーチとなっている。
Bruce Matthews | |||||||||||
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![]() 1984年のマシューズ | |||||||||||
基本情報 | |||||||||||
ポジション |
オフェンシブガード センター オフェンシブタックル | ||||||||||
生年月日 | 1961年8月8日(63歳) | ||||||||||
出身地 |
![]() ノースカロライナ州ローリー | ||||||||||
身長: | 6' 5" =約195.6cm | ||||||||||
体重: | 305 lb =約138.3kg | ||||||||||
経歴 | |||||||||||
大学 | USC | ||||||||||
NFLドラフト | 1983年 / 1巡目全体9位 | ||||||||||
初出場年 | 1983年 | ||||||||||
初出場チーム | ヒューストン・オイラーズ | ||||||||||
所属歴 | |||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||
オールプロ選出(9回) | |||||||||||
1988年-1993年、1998年-2000年 | |||||||||||
プロボウル選出(14回) | |||||||||||
1988年-2001年 | |||||||||||
その他受賞・記録 | |||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||
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Player stats at PFR | |||||||||||
経歴
編集彼はアメリカンフットボール一家に生まれた。彼の父親、クレイ・マシューズ・シニアは1950年代にサンフランシスコ・フォーティナイナーズでプレーした選手であり、兄のクレイ・マシューズ・ジュニアはNFLで19年間プレーした。甥のクレイ・マシューズ3世は2009年のNFLドラフトでグリーンベイ・パッカーズにドラフト1巡目で指名されて入団している。1970年代にマシューズ一家はシカゴに住んでおり彼は1年間地元の高校に通ったがその後ロサンゼルスの高校に転校した。高校時代彼はオフェンスラインマン、ディフェンスラインマンとしてプレーすると共にアマチュアレスリングでは地元リーグの最優秀選手となった。
高校卒業後、USCに進学した彼はオフェンスラインマンとして活躍し4年次にはオールアメリカンに選出され、またモリス賞(カレッジフットボールのオフェンスラインマン、ディフェンスラインマンのそれぞれ最優秀選手に与えられる)を獲得した。大学時代に彼は1994年からオイラーズのヘッドコーチとなったジェフ・フィッシャーとチームメートだった[3]。
1983年のNFLドラフトで1巡目全体9位でヒューストン・オイラーズに指名されて入団した。アール・キャンベルのリードブロッカーとしてもプレーした。レフトガード、ライトガード、センター、ライトタックル、レフトタックルとオフェンスラインの5つ全てのポジションでプレーした[4][3]彼はガードとセンターでプロボウルにNFL最多記録タイの14回(ガードで9回、センターで5回)選出された(もう1人はマーリン・オルセン)[3]。またオールプロに9回、オールAFCに12回選出されると共にNFL1990年代オールディケイドチームのガードにも選ばれている[3]。彼はオイラーズ(在籍中、オイラーズは移転によってテネシー・オイラーズ、テネシー・タイタンズと名称を変更した。)一筋でプレーし、296試合の出場はプレースキッカーやパンターを除いた最多記録となっている[3]。オフェンスラインマンとしては史上最長の19シーズンプレーした彼は2001年に現役を引退した。その後彼の背番号74番は永久欠番となった。
2007年にプロフットボール殿堂入りを果たした[2]。これはチームがテネシーに移って以来初の選出であった。また1983年にドラフト指名を受けた選手としてはダン・マリーノ、エリック・ディッカーソン、ジョン・エルウェイ、ジム・ケリーに続く5人目の選出となった(その後ダレル・グリーンも選出されている。)。
2009年に彼はヒューストン・テキサンズのアシスタントコーチ(オフェンシブライン担当)としてNFLに復帰[5]。2011年シーズンからは古巣タイタンズでアシスタントコーチをしている。
家族
編集彼の5人の息子のうち3人は高校、大学でアメリカンフットボールを行っている。2010年、その1人であるケビン・マシューズがルーキーフリーエージェントでテネシー・タイタンズと契約した[6]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ Chad Minton (2011年2月2日). “Tennessee Titans: The 20 Best Offensive Players In Oilers/Titans History”. bleacherreport.com. 2013年4月14日閲覧。
- ^ a b “チーム別ドラフト成功トップ5 -タイタンズ-”. NFL JAPAN (2013年4月11日). 2013年4月14日閲覧。
- ^ a b c d e Hall of Famers
- ^ 加えて、オフェンスラインの選手が兼任することが多いスペシャルチームのロングスナッパーの経験もある。
- ^ Texans say goodbyes, get reacquainted CHRON 2009年2月28日
- ^ “タイタンズ、前USCのRBジョンソン獲得”. NFL JAPAN (2010年4月26日). 2010年4月26日閲覧。
外部リンク
編集- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference
- ブルース・マシューズ - IMDb