ブルヒャルト (テューリンゲン公)
ブルヒャルト(ドイツ語:Burchard, ? - 908年8月3日)は、テューリンゲン公[注釈 1]。
ブルヒャルト Burchard | |
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テューリンゲン公 | |
在位 | 892/907年 - 908年 |
死去 |
908年8月3日 |
子女 |
ブルヒャルト バルド |
生涯
編集892年にバーベンベルク家のポッポ2世がテューリンゲン公位を退いた後に公位についた。ポッポ2世が公位を退いた理由は不明である。ブルヒャルトはシュヴァーベンの出身とも考えられている[1]。
908年にブルヒャルトは大軍を率いてマジャル人と戦った。8月3日にアイゼナハの戦いにおいて敗北し、ヴュルツブルク司教ルドルフ1世および東フランケン伯エギノとともに戦死した[2][3]。
ブルヒャルト以降はテューリンゲン公の記録はないが、独立を保ち最終的に中世盛期に方伯領を形成した[4]。
ブルヒャルトには、ブルヒャルトとバルドという2人の息子がいたが、913年にドイツ王ハインリヒ1世によりテューリンゲンから追放された。
注釈
編集- ^ 903年の記録に「Purchart marchio Thuringionum(ブルヒャルト、テューリンゲン辺境伯)」と記されている。
脚注
編集- ^ Reuter 1991, p. 131.
- ^ Reuter 1991, p. 129.
- ^ Santosuosso 2004, p. 148.
- ^ Reuter 1991, p. 133.
参考文献
編集- Reuter, Timothy (1991). Germany in the Early Middle Ages 800–1056. New York: Longman
- Santosuosso, Antonio (2004). Barbarians, Marauders, and Infidels: The Ways of Medieval Warfare. New York, NY: MJF Books. p. 148. ISBN 978-1-56731-891-3