ブルトン国家党
ブルトン国家党またはブルトン国民党(フランス語: Parti National Breton、ブルトン語: Strollad Broadel Breizh、略称: PNB)は、1931年から1944年まで存在したブルトン(ブルターニュ)の政党。第二次世界大戦のフランス解放後にナチスへの協力(コラボラシオン)を理由として解散させられた。前身はブルトン自治党(Parti Autonomiste Breton、Strollad Emrenerien Vreiz、PAB)。
ブレトン国民党 Parti National Breton (Strollad Broadel Breizh) | |
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党首 | オリエ・モルドレル |
創立 | 1931年 |
解散 | 1944年 |
前身政党 | ブルトン自治党 |
本部所在地 | レンヌ |
機関誌 | ブルトン日報 |
準軍組織 | Bagadoù stourm |
政治的思想 |
汎ケルト主義 ブルトンのナショナリズム ファシズム 反セム主義 コラボラシオン |
政治的立場 | 極右 |
公式カラー | 黒、白 |
党旗 | |
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概要
編集1931年8月、ブルトン自治党(Parti Autonomiste Breton、Strollad Emrenerien Vreiz、PAB)ガンガン大会後に同党は連邦派と独立派に分裂。
PABの崩壊の後、モルヴァン・マルシャル(Morvan Marchal)を中心とする連邦主義者はブルターニュ連邦主義者同盟(Ligue fédéraliste de Bretagne)を結成した。
対して、オリエ・モルドレル(Olier Mordrel)率いるナショナリストらは、ブルトン(ブルターニュ)の独立を求めるブルトン国家党(Parti National Breton、PNB)を結成した。これは、1911年から1914年まで存在した「ブルトン国民党」の復活であった。1931年12月27日、ランデルノー大会が開催。その後、セレストン・レネ(Célestin Lainé) に率いられた活動家達が、ブルトン(ブルターニュ)の対仏統合を象徴していたレンヌのジャン・ブーシェ像(Jean Boucher)を爆破した。
PNBは、ケルト主義の影響を受け、アイルランド人の独立運動を模範とした。また、ファシズムとも結び付いた。1939年の第二次世界大戦勃発時に対独協力を理由として禁止されたが、フランスの敗戦後に復活した。1941年、PNBから明確な親独派が分裂し、ブルトン国家社会主義労働者運動となった。
機関誌は「ブルトン日報」(L'Heure Bretonne)。
参照
編集- La Bretagne dans la guerre by Hervé Le Boterf. 1969.