ブルックリン・アトランティックス
ブルックリン・アトランティックス(Brooklyn Atlantics)は、1872年から1875年までアメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリンを本拠地とし、ナショナル・アソシエーションに所属していたプロ野球チーム。
球団史
編集1855年に『アトランティック・ベース・ボール・クラブ』として球団は創設され、プロ野球リーグ誕生以前の『全米野球選手協会 (National Association of Base Ball Players)』の創設以来のメンバーとして1857年から加盟して活動していた。1859年の大会では11勝1敗の成績で優勝、1861年にも協会のチャンピオンシップを獲得した[1]。以後、1860年代はニューヨークや他のライバルチーム(エックフォード・クラブ(ブルックリン)、フィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックスとは別チーム)、ミューチュアル・クラブ)としのぎを削り、1866年まで36連勝を記録したこともある。
また1870年6月14日に、1867年から数えて92連勝中だったシンシナティ・レッドストッキングスに延長11回で8-7で勝利、レッドストッキングスの3年越しの連勝をストップしたチームとしても有名になった。チームはその当時ジョー・スタート、リップ・パイク、ジョージ・ゼットレインといった実力のある選手を抱え、ほぼプロ化された球団となっていたが、1871年のプロ野球リーグ創設にあたって、アトランティックスは初年度の参加を辞退、プロ契約の選手達を他のクラブに放出してしまった。
翌1872年に、アトランティックスはナショナル・アソシエーションに加盟するが、前年の主力選手放出の痛手から回復できず、1875年までの4シーズンを大きく負け越して終わる。ナショナル・アソシエーションはこの年限りで解散し、1876年にナショナルリーグが創設されるが、アトランティックスには加盟の要請はなく、リーグに参加しない独立のチームとしてしばらく活動していた。1882年に新たに創設されるアメリカン・アソシエーションからリーグ加盟を誘われたもののチームは参加条件を満たせなかったといい、少なくとも1881年まで球団は存続していたと考えられる。
戦績
編集※1871年から1875年の戦績。順位は勝利数による。
年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1872年 | NA | 37 | 9 | 28 | .243 | 6位 | ボブ・ファーガソン | Capitoline Grounds |
1873年 | 55 | 17 | 37 | .315 | 6位 | ボブ・ファーガソン | Union Grounds (Brooklyn) | |
1874年 | 56 | 22 | 33 | .400 | 6位 | ボブ・ファーガソン | ||
1875年 | 44 | 2 | 42 | .045 | 12位 | チャーリー・ペイバー ビル・ボイド |
所属した主な選手
編集主な球団記録
編集- 通算安打数:169(ボブ・ファーガソン)
- 通算打点数:63(ボブ・ファーガソン)
- 通算勝利数:26(ジム・ブリット)
脚注
編集- ^ 資料によると、1861年のブルックリン・エクセルシオールとのチャンピオンシップの試合は、試合中にアトランティックスのファンが暴徒化して続行できず、抽選で決定されたという。