ブリリアント (競走馬)
ブリリアント (Brilliant) は18世紀中ごろに活躍した競走馬、種牡馬である。現在のサラブレッドで一般的でない毛色を持つ馬としては、最後の著名な競走馬であった。
ブリリアント | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 河原毛 |
生誕 | 1750年 |
死没 | 1772年? |
父 | クラブ |
母 | シスタートゥーバフコート |
生国 | イギリス |
生産者 | 第2代ポルトモア伯爵 |
馬主 | ウィリアム・クロフツ |
競走成績 | |
生涯成績 | 7勝 |
経歴
編集第2代ポルトモア伯爵チャールズ・コルイヤーの生産。父は芦毛で有名なクラブ (Crab) であるが、芦毛は受け継がなかった。本馬は母の母シルヴァーロックス (Silverlocks) の月毛から佐目毛遺伝子を受け継いだものと考えられる。2歳のとき、ノーフォークのウィリアム・クロフツに売却された。 競走馬としては1754年から1757年にかけ7勝、同時代のスナップ (Snap) やスペクテイター (Spectator) 、マッチェム (Matchem) に次ぐ上級馬であった。1754年のイプスウィッチのキングズプレート、1755年のバーフォードのキングズプレートなどに勝ち、1755年の50ゾブリンを賭けたニューマーケットのレースでは、サイフォン (Syphon) やマースク (Marske) などを倒している。このほか1756年のニューマーケットのジョッキークラブプレートでは、マッチェムに先着した記録が残る(1着はスペクテイター)。
種牡馬としては当初エプソムで、のちにノーフォークで供用され成功した。産駒にはベラリオ(Bellario。10勝、ただし鹿毛)、アンテロープ (Antelope) 、ドンダン (Don Dun) らがいる。この中でアンテロープは種牡馬となり、ゲム (Gem) を出したが、そこで父系は途絶えている。このため後世への影響はかなり限定される。1767年生まれのBrilliant Mareの父としてわずかに見出すことができる程度である。
なお、この時期には月毛や河原毛はほとんど見られなくなっており、ブリリアントとその仔アンテロープ、半妹のイサベラ (Isabella) の死とともにサラブレッドの遺伝子プールから月毛や河原毛、佐目毛を発現する遺伝子は排除された。
血統表
編集ブリリアントの血統(オルコックアラビアン系) | (血統表の出典) | |||
父 Crab イギリス 芦毛 1722年 |
父の父 Alcock Arabian芦毛 1700年 |
不明 | 不明 | |
不明 | ||||
不明 | 不明 | |||
不明 | ||||
父の母 Sister to Soreheelsイギリス 1711年 |
Basto イギリス 黒鹿毛 1703年 |
Byerley Turk | ||
Bay Peg | ||||
Sister one to Mixbury イギリス |
Curwen's Bay Barb | |||
Curwen Spot Mare | ||||
母 Sister one to Buff Coat イギリス 河原毛 1738年 |
Godolphin Arabian 鹿毛 1724年 |
不明 | 不明 | |
不明 | ||||
不明 | 不明 | |||
不明 | ||||
母の母 Silverlocksイギリス 月毛 1725年 |
Bald Galloway イギリス 芦毛 1705年 |
St. Victors Barb | ||
Grey Whynot | ||||
Sister to Chaunter イギリス 月毛 1712年 |
Akaster Turk | |||
Cream Cheeks |
参考文献
編集外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 JBISサーチ