ブライアン・ドーバック
ブライアン・ドーバック (英: Brian Michael Daubach、1972年2月11日 - ) は、アメリカ合衆国・イリノイ州出身の元プロ野球選手 (MLB) 、マイナーリーグの監督である。現役時代 (MLB) は、ボストン・レッドソックスやニューヨーク・メッツ等で8年間プレイした。愛称は「ベルビル・バッシャー (Belleville Basher) [1][+ 1]」。メディアによっては、ドウバックと表記される事もある[+ 2]。
ハリスバーグ・セネターズ 監督 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | イリノイ州ベルビル |
生年月日 | 1972年2月11日(52歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 201 lb =約91.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
プロ入り |
1990年 ドラフト17巡目 (ニューヨーク・メッツから指名) |
初出場 |
1998年9月10日 フロリダ・マーリンズ (対コロラド・ロッキーズ戦) |
最終出場 |
2005年7月5日 ニューヨーク・メッツ (対ピッツバーグ・パイレーツ戦) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集選手としてのキャリア (1990年 - 2006年)
編集- プロ入りまで - 1990年
- ベルビル高校・ウェスト高校 (いずれもイリノイ州の高校) を経て[1][2][+ 3]、1990年6月4日にニューヨーク・メッツからドラフト17巡目で指名された。指名から11日後の6月15日に、メッツと契約を結んだ[3]。プロ入り後は、マイナーリーグのGCL・メッツ (ガルフ・コーストリーグのルーキー級のチーム) に配属され早速、試合に出場した[4]。この年は45試合に出場し、打率.270・1本塁打・19打点・2盗塁という成績を残した。守備面では、31試合でファーストの守備に就き、7失策・守備率.976という成績だった。
- 1991年[4]
- この年は、アパラチアンリーグ (アドバンスト・ルーキー級) のキングスポート・メッツでプレイした。最終的には65試合に出場して7本塁打・42打点を記録したが、打率は大きく低下 (.243) してしまった。三振も65試合で64三振を喫し、ミート力に課題を残した。走塁面では、前年に2盗塁を決めて盗塁死は1つだけだったが、この年は1盗塁・3盗塁死という成績であり、盗塁成功率は低下した。守備面では、65試合のファースト守備で9失策・守備率.986という成績を記録し、前年よりも向上した。
- 1992年[4]
- リーグのランクを1つ上げ、ニューヨーク・ペンリーグ (ショートシーズンのA級) のピッツフィールド・メッツに所属した。72試合の出場で打率.242・2本塁打・40打点という打撃成績に終わり、2年連続で.250未満の打率に終わったばかりでなく、ホームランも大きく減少した。しかし、プロ入り後自己ベストとなる15二塁打を放ち、三塁打 (2本) も合わせて計19本の長打を放った為、長打数は前年よりも増えた。走塁面では、1つも失敗せずに4盗塁を決め、成長の跡を示した。守備では引き続き一塁を守り、67試合で12失策・守備率.982と、ほぼ横這いの成績だった。
- 1993年[4]
- この年は、A級・サウス・アトランティックリーグのキャピタルシティ・ボンバーズでプレイし、プロ入り以来自己最多となる102試合に出場した。打率.280・7本塁打・72打点・6盗塁という成績を記録し、打率と打点で自己ベストの数字をマーク、また盗塁も自己最多だった。守備面では、ファーストで自己ベストの守備率.989 (46試合) を記録したほか、初めて外野守備にも就いた。
- 1994年[4]
- MLBでストライキがあった1994年、ドーバックは更にランクを1つ上げ (A+級) 、メジャーへの道のりを順調に進んでいた。この年はフロリダ・ステートリーグのセントルーシー・メッツでプレイし、前年を上回る129試合に出場した。打率.273・6本塁打・74打点という打撃成績を記録、1993年とほぼ同等の成績だったが、自己ワーストの120三振を喫した。走塁面では、マイナーリーグで自己最多且つ自身初の2ケタ盗塁となる14盗塁を記録したが、一方で盗塁死も9つに及んだ (盗塁成功率60.9%) 。守備では128試合でファーストの守備に就いたが、失策を12個に留め、守備率.991をマークした。
- 1995年[4]
- この年は、AA級・イースタンリーグのビンガムトン・メッツに所属した。135試合に出場し、初の2ケタ本塁打となる10本塁打を放ったが、打率は.250未満に逆戻りし、2年連続で100三振以上を喫するなど、やや不振だった。守備面では、前年比+3試合となる131試合で一塁を守り、前年以下の10失策にまとめた (守備率.992) 。また、1試合でサードの守備にも就いた。
- 同年はAAA級・インターナショナルリーグのノーフォーク・タイズへの昇格も経験し、2試合に出場した。
- 1996年[4]
- 前年に引き続き、AA級・ビンガムトンとAAA級・ノーフォークでプレイした。まず、ビンガムトンでは122試合に出場し、打率.296・22本塁打 (チーム最多[5]) ・76打点・OPS0.910という好成績をマークし、打棒を爆発させた。守備では121試合のファースト守備で、11失策・守備率.991にまとめ上げ、まずまずの安定感だった。また、2年連続で三塁守備に就く機会があった。ノーフォークでは17試合に出場して6打点をあげたが、打率.204・14三振と結果を残せなかった。一塁の守備は、9試合で無失策だった。
- シーズンオフの10月15日、メッツからFAとなり、11月7日にフロリダ・マーリンズと契約を結んだ[3]。結局、プロ入りからメッツでメジャーデビューする事は出来なかった。
- 1997年[4]
- マーリンズ加入1年目となる1997年は、インターナショナルリーグ (AAA級) のシャーロット・ナイツに所属した。136試合に出場して打率.278・21本塁打・93打点・1盗塁という成績をマークし、2年連続で20本塁打・80打点のラインをクリア、前年の好成績がまぐれでない事を証明した。守備面では、101試合の一塁守備で失策を8つに留め、100試合以上ファーストを守ったシーズンとしては、自身初の失策1ケタ台だった。攻守両面で安定した成績を残したが、10月17日にマーリンズからFAとなり[3]、所属先が決まらないまま越年する事になった。
- 1998年
- FA状態で新年を迎えたドーバックだったが、年明け早々の1月6日、マーリンズと再契約を結んだ[3]。この年もシャーロットでプレイしたが、これまでとは打って変わって外野 (主にライト) のレギュラーで起用された。マイナーリーグ自己最多の140試合に出場し、打力が開花した過去2年と比べてもハイレベルな成績を記録した。打率.316・35本塁打 (マイナー通算100本塁打を達成) ・124打点・9盗塁・OPS1.055という内容であり、本塁打はマイナーリーグ全体で6位タイ、打点は同4位だった[6]。守備面では、前述したようにライトを守った試合数 (97試合) が最多で、次いでファースト25試合、レフト8試合だった。
- マイナーで好成績を残したドーバックは、9月10日の対コロラド・ロッキーズ戦で、実にプロ入り9年目で初めてメジャーの舞台に上がった。同試合では「5番・ファースト」でスタメン起用されたが、記念すべきプロ初安打を放つ事は出来なかった[7]。この年は最終的に10試合に出場し、打率.200・3打点という打撃成績を残した。守備は、メジャー昇格後はファーストに戻った。
- メジャーデビューや、マイナーでの大活躍等があったドーバックだったが、同年オフの11月19日にマーリンズから解雇された。しかし、すぐさま移籍先を見つけ、約1ヵ月後の12月18日にボストン・レッドソックスと契約を結んだ[3]。
- 1999年
- メジャー2年目となる1999年、ほぼ1年通じてメジャーに定着し、ファースト・DHを中心に110試合に出場した。8月15日にはプレイヤー・オブ・ザ・ウィーク (週間MVP) を受賞し、最終的には打率.294・21本塁打・73打点・OPS0.921という好成績をマーク。シーズン終了後のルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票で4位にランクインした (同年の受賞者はカルロス・ベルトラン) [8]。この年、マイナーではポータケット・レッドソックス (AAA級) で9試合に出場しただけだった。
- 2000年
- レッドソックスに移ってきて2年目のシーズン、ファーストのレギュラーに完全に定着し、チーム内では最多の142試合に出場した[9] (DHとしても41試合に出場) 。打撃面では、初めて規定打席に到達し、2年連続で21本塁打を放ったが、打率.248に終わり、ア・リーグワースト8位の130三振を喫するなど、マイナー時代からの課題であるミート力の低さが露呈してしまった。一方、守備面では83試合でファーストを守り、3失策・守備率.996と堅実だった。
- 2001年
- 引き続き、レッドソックスでファーストのレギュラーを務めた。122試合に出場して、打率.263・22本塁打 (自己ベスト) ・71打点・1盗塁という成績を残した。打率は前年から上昇し、三振も108個まで減らした。守備では、106試合でファーストを守った (11失策・守備率.988) ほか、外野守備 (ライト・レフト) に就く機会もあった。なお、DHとして試合に出場する機会はなかった。この年は2年ぶりにマイナーでプレイする機会もあり、ポータケットとローウェル・スピナーズ (A-級) で各1試合ずつ出場した。
- 2002年
- 2002年はポジションが固定されず、ユーティリティ・プレイヤーとして起用されたが、計137試合に出場して2年ぶりに規定打席に到達。打率.266・20本塁打・78打点・2盗塁という成績を残し、4年連続で20本塁打以上を放ったほか、打点で自己ベストの数字を叩き出した。マニー・ラミレス (33本) 、ノマー・ガルシアパーラ、トロット・ニクソン (以上24本) の3選手と共に20本塁打カルテットを構成した[10]。守備面では、ファーストで60試合 (守備率.990) 、レフトで35試合、ライトで13試合 (以上守備率1.000) の守りに就き、指名打者としても28試合で起用された。シーズンオフの12月21日にFAとなった[3]。同年オフにはNPBの横浜ベイスターズが新外国人候補としてドーバックをスティーブ・コックスやタイロン・ウッズらとともにリストアップしていたが[11]、最終的にドーバックは横浜には入団せず、コックスとウッズが入団した[12]。
- 2003年
- 1月27日にシカゴ・ホワイトソックスと契約を結んだ[3]。ホワイトソックスでは定位置を掴む事が出来ず、ユーティリティとして95試合に出場したが、いずれもメジャーデビュー年 (1998年) 以来となる、自己ワースト2位の打率.230・6本塁打・21打点という成績に終わった。守備では前年と同様、ファースト・ライト・レフトとDHで起用された。12月10日、ホワイトソックスを解雇された。
- 2004年
- 年が明けて1月14日、レッドソックスと契約を結び、2年ぶりに古巣に復帰した[3]。だが、以前のような打棒を発揮する事は出来ず、僅かに30試合の出場で打率.227・2本塁打・8打点という打撃成績に終わった。この年から、再びマイナーで過ごす期間が長くなり、ポータケットで93試合に出場した。マイナーでは格の違いを見せつけており、打率.271・21本塁打・81打点・OPS0.927という好成績をマークした。守備面では、78試合で一塁守備に就き、5失策・守備率.992という内容だった[4]。シーズンオフの10月4日、FAとなる[3]。
- 2005年
- 2005年はなかなか所属先が決まらず、3月8日になってようやくメッツと契約を結び[3]、9年ぶりにプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた古巣に復帰となった。メジャーでは15試合に出場したが、打率.120・1本塁打・3打点という内容に終わり、結果を残せなかった。一方マイナーでは、ノーフォークで99試合に出場し、打率.325・16本塁打・62打点・1盗塁・OPS0.979という好成績を残した。守備は、71試合でファーストの守備に就き、2失策・守備率.997と堅実な成績を記録。9試合でレフトの守りにも就いた[4]。10月3日にメッツからFAとなるが、12月20日にセントルイス・カージナルスと契約を結び[3]、年内に所属先を見つけ出した。
- 2006年
- カージナルスでは、パシフィックコーストリーグ (AAA級) のメンフィス・レッドバーズで67試合に出場したが[4]、8月8日に解雇されると[3]以後、契約を結んでくれる球団は表れず、同年限りで引退した。メジャーで試合に出場したのは、2005年のメッツ所属時が最後となった。
監督としてのキャリア (2009年 - )
編集- 2009年
- 2009年、独立リーグのカナディアン・アメリカンアソシエーションのアメリカン・ディフェンダーズ・オブ・ニューハンプシャー (2010年以降、ピッツフィールド・コロニアルズへと改名) の監督に就任した[13]。監督就任1年目のシーズンは、36勝58敗 (勝率.383) に終わった。
- 2011年
- この年から、ワシントン・ナショナルズ傘下のチームの監督を務める。2011年は、サウス・アトランティックリーグ所属のヘイガーズタウン・サンズ (A級) の指揮を執り、75勝64敗 (勝率.540) という成績を記録した[13]。この時、ヘイガーズタウンにはブライス・ハーパーが所属していた。
- 2012年
- 2011年に続き、ヘイガーズタウンの監督を務めた。チームは前期で42勝27敗 (リーグ2位) 、後期で40勝28敗 (同1位) という成績を記録した[14]。1年間の通算成績は82勝55敗 (勝率.599) であり[13]、ドーバックが指揮を執ったチームの勝率は4年連続で上昇、監督としての腕が上がっている事を証明した。
- 2013年
- 2013年は、ナショナルズ傘下のポトマック・ナショナルズ (カロライナリーグ、A+級) の監督に就任。この年、ポトマックは前期・後期共に1位となり[15]、チームの勝率は.600を超えた (.604) [13]。
- 2014年
- この年から、イースタンリーグ (AA級) の傘下球団であるハリスバーグ・セネターズの監督となった。2009年から2013年まで、ドーバックが指揮を執ったチームの勝率は毎年上昇していたが、2014年のハリスバーグは53勝89敗 (勝率.373) に終わり[13]、監督としては初めて壁に突き当たった格好となった。
選手としての特徴
編集- 打撃
マイナーでは、.300を超える打率を2度マークしているが、基本的にミート力は高くない。メジャー及びマイナー共に、打率.250未満に終わったシーズンも多く、1シーズンで100以上の三振を喫したシーズンも多い。長打力はあり、20本塁打以上を放ったシーズンが、メジャー・マイナー共に各4度ある。
- 守備
ファーストとしての守備力は、メジャーとマイナーの両方で通算守備率.990を記録している事からも分かるように堅実。通算のDRS (メジャー) も+4であり、ドーバックの一塁守備は、平均よりやや上である事を示している。外野手としては、メジャーとマイナーで通算200試合以上守備に就いているが、失策は計3つしかない。しかし、外野手としての通算DRSは-3と、外野守備は平均以下。ちなみに、センターを守った事はない。
- 走塁
マイナーでは、1シーズンで14盗塁を決めた事もあるが、メジャー通算5盗塁であり、足は速くない。
詳細情報
編集背番号
編集- フロリダ・マーリンズ
- 39 (1998年)
- ボストン・レッドソックス
- 23 (1999年 - 2002年、2004年)
- シカゴ・ホワイトソックス
- 23 (2003年)
- ニューヨーク・メッツ
- 13 (2005年)
年度別打撃成績 (メジャー)
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | FLA | 10 | 17 | 15 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 5 | 0 | .200 | .294 | .267 | .561 |
1999 | BOS | 110 | 420 | 381 | 61 | 112 | 33 | 3 | 21 | 214 | 73 | 0 | 1 | 0 | 0 | 36 | 0 | 3 | 92 | 5 | .294 | .360 | .562 | .921 |
2000 | 142 | 549 | 495 | 55 | 123 | 32 | 2 | 21 | 222 | 76 | 1 | 1 | 0 | 4 | 44 | 2 | 6 | 130 | 6 | .248 | .315 | .448 | .764 | |
2001 | 122 | 472 | 407 | 54 | 107 | 28 | 3 | 22 | 207 | 71 | 1 | 0 | 1 | 6 | 53 | 7 | 5 | 108 | 10 | .263 | .350 | .509 | .859 | |
2002 | 137 | 506 | 444 | 62 | 118 | 24 | 2 | 20 | 206 | 78 | 2 | 1 | 0 | 4 | 51 | 4 | 7 | 126 | 10 | .266 | .348 | .464 | .812 | |
2003 | CHW | 95 | 219 | 183 | 26 | 42 | 11 | 0 | 6 | 71 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1 | 34 | 1 | 1 | 54 | 3 | .230 | .352 | .388 | .740 |
2004 | BOS | 30 | 86 | 75 | 9 | 17 | 8 | 0 | 2 | 31 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 1 | 21 | 1 | .227 | .326 | .413 | .739 |
2005 | NYM | 15 | 34 | 25 | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 1 | 1 | 5 | 2 | .120 | .324 | .320 | .644 |
通算:8年 | 661 | 2303 | 2025 | 271 | 525 | 139 | 10 | 93 | 963 | 333 | 5 | 3 | 1 | 16 | 236 | 15 | 25 | 541 | 37 | .259 | .341 | .476 | .817 |
年度別打撃成績 (マイナー)
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | Mets | 45 | 179 | 152 | 26 | 41 | 8 | 4 | 1 | 60 | 19 | 2 | 1 | 0 | 3 | 22 | 0 | 2 | 41 | - | .270 | .363 | .395 | .758 |
1991 | Kingsport | 65 | 260 | 218 | 30 | 53 | 9 | 1 | 7 | 85 | 42 | 1 | 3 | 1 | 2 | 33 | 5 | 6 | 64 | 1 | .243 | .355 | .390 | .745 |
1992 | Pittsfield | 72 | 298 | 260 | 26 | 63 | 15 | 2 | 2 | 88 | 40 | 4 | 0 | 1 | 4 | 30 | 2 | 3 | 61 | 5 | .242 | .323 | .338 | .662 |
1993 | Capital City | 102 | 444 | 379 | 50 | 106 | 19 | 3 | 7 | 152 | 72 | 6 | 1 | 1 | 7 | 52 | 5 | 5 | 84 | 14 | .280 | .368 | .401 | .769 |
1994 | St. Lucie | 129 | 520 | 450 | 52 | 123 | 30 | 2 | 6 | 175 | 74 | 14 | 9 | 3 | 4 | 58 | 5 | 5 | 120 | 3 | .273 | .360 | .389 | .749 |
1995 | Binghamton | 135 | 535 | 469 | 61 | 115 | 25 | 2 | 10 | 174 | 72 | 6 | 2 | 1 | 7 | 51 | 5 | 7 | 104 | 5 | .245 | .324 | .371 | .695 |
Norfolk | 2 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | .000 | .222 | .000 | .222 | |
'95計 | 137 | 544 | 476 | 61 | 115 | 25 | 2 | 10 | 174 | 72 | 6 | 2 | 1 | 7 | 53 | 6 | 7 | 104 | 5 | .242 | .322 | .366 | .688 | |
1996 | Binghamton | 122 | 521 | 436 | 80 | 129 | 24 | 1 | 22 | 221 | 76 | 7 | 9 | 0 | 4 | 74 | 9 | 7 | 103 | 8 | .296 | .403 | .507 | .910 |
Norfolk | 17 | 61 | 54 | 7 | 11 | 2 | 0 | 0 | 13 | 6 | 1 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 14 | 1 | .204 | .279 | .241 | .519 | |
'96計 | 139 | 582 | 490 | 87 | 140 | 26 | 1 | 22 | 234 | 82 | 8 | 10 | 0 | 5 | 80 | 9 | 7 | 117 | 9 | .286 | .390 | .478 | .868 | |
1997 | Charlotte | 136 | 543 | 461 | 66 | 128 | 40 | 2 | 21 | 235 | 93 | 1 | 8 | 1 | 10 | 65 | 4 | 6 | 126 | 7 | .278 | .367 | .510 | .877 |
1998 | 140 | 599 | 497 | 102 | 157 | 45 | 4 | 35 | 315 | 124 | 9 | 3 | 0 | 7 | 80 | 9 | 15 | 114 | 15 | .316 | .421 | .634 | 1.055 | |
1999 | Pawtucket | 9 | 39 | 31 | 4 | 9 | 2 | 0 | 1 | 14 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 2 | 8 | 0 | .290 | .436 | .452 | .888 |
2001 | Lowell | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .333 | .000 | .333 |
Pawtucket | 1 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 | |
'01計 | 2 | 7 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .167 | .286 | .167 | .452 | |
2004 | 93 | 412 | 336 | 63 | 91 | 23 | 0 | 21 | 177 | 81 | 0 | 1 | 0 | 2 | 71 | 7 | 3 | 93 | 1 | .271 | .400 | .527 | .927 | |
2005 | Norfolk | 99 | 412 | 345 | 63 | 112 | 29 | 1 | 16 | 191 | 62 | 1 | 2 | 1 | 3 | 62 | 8 | 1 | 68 | 6 | .325 | .426 | .554 | .979 |
2006 | Memphis | 67 | 272 | 226 | 29 | 63 | 12 | 0 | 11 | 108 | 38 | 0 | 1 | 1 | 3 | 36 | 1 | 6 | 48 | 7 | .279 | .387 | .478 | .865 |
通算:14年 | 1235 | 5111 | 4327 | 659 | 1202 | 283 | 22 | 160 | 2009 | 805 | 52 | 41 | 10 | 57 | 649 | 61 | 68 | 1051 | *73 | .278 | .376 | .464 | .840 |
- 「-」は公式記録なし。
- 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
- 2000年、2002 - 2003年は試合出場なし。
通算打撃成績
編集- メジャーリーグとマイナーリーグの通算打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通算:17年 | 1896 | 7414 | 6352 | 930 | 1727 | 422 | 32 | 253 | 2972 | 1138 | 57 | 44 | 11 | 73 | 885 | 76 | 93 | 1592 | *110 | .272 | .365 | .468 | .833 |
- 「*数字」は、不明年度がある事を示す。
年度別監督成績
編集- マイナーリーグ・独立リーグ
年度 | 球団 | 所属リーグ | MLBチーム (マイナーの場合) | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | アメリカン・ディフェンダーズ・オブ・ニューハンプシャー | Can-Amリーグ | - | 94 | 36 | 58 | .383 |
2010 | ピッツフィールド・コロニアルズ | Can-Amリーグ | - | 93 | 48 | 45 | .516 |
2011 | ヘイガーズタウン・サンズ | SALL・A級 | ワシントン・ナショナルズ | 139 | 75 | 64 | .540 |
2012 | 137 | 82 | 55 | .599 | |||
2013 | ポトマック・ナショナルズ | CARL・A+級 | 140 | 84 | 55 | .604 | |
2014 | ハリスバーグ・セネターズ | EL・AA級 | 142 | 53 | 89 | .373 | |
通算:6年 | 745 | 378 | 366 | .508 |
- アメリカン・ディフェンダーズ・オブ・ニューハンプシャー=ピッツフィールド・コロニアルズ (2010年に球団名を改名)
出典
編集- ^ a b Brian Daubach Statistics and History - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ West HS Baseball Players - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l Brian Daubach Statistics and History - Transactions - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Brian Daubach Minor League Statistics & History - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ 1996 Binghamton Mets Statistics -- Minor Leagues - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ 1998 Minor League Batting Leaders - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ September 10, 1998 FLA VS COL - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ 1999 Awards Voting - AL Rookie of the Year Voting - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ 2000 Boston Red Sox Batting, Pitching, & Fielding Statistics - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年10月13日閲覧。
- ^ 2002 Boston Red Sox Batting, Pitching, & Fielding Statistics - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ 「横浜の新4番にタイロン・ウッズ 韓国プロ野球・5年で174発男! ペタ獲得失敗で決めた右の大砲」『スポーツ報知』報知新聞社、2002年11月27日。オリジナルの2002年12月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「新外国人2選手を獲得 ◆ベイ、現役大リーガーら」『デイリーベイスターズ』神奈川新聞社、2002年12月10日。オリジナルの2003年1月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f Brian Daubach Minor League Statistics & History - Managing - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月13日閲覧。
- ^ 2012 South Atlantic League Statistics - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月14日閲覧。
- ^ 2013 Carolina League Statistis - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月14日閲覧。