フレデリック・ハワード (第5代カーライル伯爵)

第5代カーライル伯爵フレデリック・ハワード英語: Frederick Howard, 5th Earl of Carlisle, KG, KT, PC1748年5月28日 - 1825年9月4日)は、イギリスの政治家、貴族。

第5代カーライル伯爵
フレデリック・ハワード
Frederick Howard, 5th Earl of Carlisle
ジョシュア・レノルズが描いたカーライル伯の肖像画
生年月日 1748年5月28日
没年月日 1825年9月4日(77歳没)
死没地 グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国イングランドヨークシャーハワード城
出身校 ケンブリッジ大学キングス・カレッジ
称号 第5代カーライル伯爵ガーター勲章ナイト(KG)、シッスル勲章ナイト(KT)、枢密顧問官(PC)

内閣 ノース卿内閣
在任期間 1779年11月6日 - 1780年12月9日

内閣 ノース卿内閣
在任期間 1780年11月29日 - 1782年4月8日

内閣 フォックス=ノース連立内閣
在任期間 1783年4月2日 - 1783年12月

グレートブリテン王国の旗 貴族院議員
在任期間 1770年1月9日 - 1825年9月4日
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経歴

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1748年5月28日、第4代カーライル伯爵ヘンリー・ハワードとその妻イザベラ(第4代バイロン男爵ウィリアム・バイロンの娘)の一人息子として生まれる[1]

イートン校を経てケンブリッジ大学キングス・カレッジへ進学したが、学位は得ず、グランドツアーを行った[1]。イートン校在学中の1758年9月3日に父が死去し、第5代カーライル伯爵位を継承した[2]。グランドツアー中の1767年12月にシッスル勲章ナイト(KT)に叙される[1]

1769年にイギリスに帰国し、1770年1月に貴族院議員となる[1]1777年6月から1779年にかけて王室会計長官英語版を務める[1][2]

1777年12月にはアメリカ独立戦争ジョン・バーゴインが降伏したことがイギリス本国に伝わり、衝撃が走った。1778年2月には首相ノース卿が提出したアメリカに和平使節団を派遣する旨の決議案が議会で可決された。その和平使節団の団長にはカーライル伯爵が選ばれた。彼を団長とするカーライル和平使節団は同年6月にもアメリカに到着し、アメリカ植民地への本国の課税権を放棄するという譲歩を提示しながら交渉にあたったが、すでに独立を宣言してフランスからも支持を獲得していたアメリカには受け入れてもらえなかった。交渉は失敗に終わり、カーライル伯爵は何の成果もなく帰国することになった[3]

1779年11月に第一通商卿に就任[1]1780年2月にヨークシャーの東ライディング総督英語版に就任し、同年10月にはアイルランド総督に就任した[1]

1782年5月に第二次ロッキンガム侯爵内閣とシェルバーン伯爵内閣下で王室家政長官英語版を務めた。1783年4月にフォックス=ノース連立内閣が成立すると王璽尚書に転じ、同年12月に小ピット内閣が誕生して下野するまで務めた[1]

その後フランス革命の勃発まで小ピット政府に対して野党の立場を取った[1]。フランス革命後には政府に歩み寄りを見せ、1793年外国人法英語版1794年人身保護停止法英語版に賛成した[1]。1793年6月12日ガーター勲章を受勲した[1]。1799年2月にはヨークシャーの東ライディング総督に再任する[1]1815年3月に穀物法に反対したのを最後に議会活動を引退した[1]

1825年9月4日ヨークシャーにある居城ハワード城で死去した。爵位は長男ジョージが継承した[1]

栄典

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爵位

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勲章

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名誉職その他

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家族

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1770年にマーガレット・キャロライン(初代スタッフォード侯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアの娘)と結婚し、彼女との間に以下の10子を儲ける[2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n DNB
  2. ^ a b c d e f g h i j Lundy, Darryl. “Frederick Howard, 5th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2014年11月22日閲覧。
  3. ^ 今井(1990) p.347

参考文献

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  • 今井宏編 編『イギリス史〈2〉近世』山川出版社〈世界歴史大系〉、1990年。ISBN 978-4634460201 
  • Barker, George Fisher Russell (1891). "Howard, Frederick" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 28. London: Smith, Elder & Co. pp. 14–17.

外部リンク

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公職
先代
サー・ジョン・シェリー準男爵英語版
王室会計長官英語版
1777年 - 1779年
次代
第4代オンスロー男爵
先代
ジョージ・ジャーメイン卿
第一通商卿
1779年 - 1780年
次代
第2代グランサム男爵
先代
第2代バッキンガムシャー伯爵
アイルランド総督
1780年1782年
次代
第3代ポートランド公爵
先代
初代タルボット伯爵英語版
王室家政長官英語版
1782年1783年
次代
第4代ラトランド公爵
先代
第3代グラフトン公爵
王璽尚書
1783年
名誉職
先代
カーマーゼン侯爵
ヨークシャーの東ライディング総督英語版
1780年1782年
次代
カーマーゼン侯爵
先代
カーマーゼン侯爵
ヨークシャーの東ライディング総督
1799年1807年
次代
第3代マルグレイヴ男爵
イングランドの爵位
先代
ヘンリー・ハワード
第5代カーライル伯爵
1758年 – 1825年
次代
ジョージ・ハワード