フレデリックスバーグ (装甲艦)
CSS フレデリックスバーグ(CSS Fredericksburg)は、南北戦争中のアメリカ連合国海軍の装甲艦。フレデリックスバーグはバージニア州の都市の名前だが、1862年には南軍が勝利したフレデリックスバーグの戦いが行われた場所である。
フレデリックスバーグ | |
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基本情報 | |
運用者 | アメリカ連合国海軍 |
艦歴 | |
起工 | 1862年 |
進水 | 1863年 |
就役 | 1864年3月 |
最期 | 1865年4月4日、鹵獲を免れるため自軍により破壊 |
要目 | |
トン数 | 2,500トン |
長さ | 188 ft (57 m) |
幅 | 40 ft 3 in (12.27 m) |
吃水 | 9 ft 6 in (2.90 m) |
推進 | 蒸気機関 |
速力 | 5ノット (9.3 km/h) |
航続距離 | 4160海里 / 80ノット |
乗員 | 150人(士官・兵合計) |
兵装 |
11 in (280 mm)滑腔砲 x 1 8 in (200 mm)施条砲 x 1 6.4 in (160 mm)施条砲 x 2 |
艦歴
編集フレデリックスバーグは、バージニア州リッチモンドで1862年から1863年にかけて建造された。リッチモンドで建造された装甲艦としては2隻目である。1863年10月には船体は完成し、兵器の搭載を待っていた。1864年3月、最終儀装のためにドルーリー断崖(Drewry's Bluff)に移動し、トーマス・ルーツ(Thomas R. Rootes)中佐が艦長となった。
フレデリックズバーグは、ジョン・ミッチェル(John K. Mitchell)代将を司令官とする南軍ジェームズ川艦隊所属の1隻として、1864年中頃から終戦までジェームズ川で任務に就いた。1864年6月21日、CSS バージニア2世(CSS Virginia II)および他の9隻とともに、トレント・リーチ(Trent's Reach)で北軍艦隊と戦ったが、交戦距離が離れていたため、双方共に損害は軽微であった[1]。同じような小競り合いが、8月、10月、翌年1月にも発生している。1864年4月3日に南軍がリッチモンドから撤退すると、フレデリックスバーグは南軍の手により破壊され、翌日には他の残存艦艇も破壊された。フレデリックスバーグは姉妹艦の約50ヤード上流に沈んでいる。残骸は水深6-15フィートの川底の泥の中に、流れと並行して横たわっている。
歴代艦長
編集歴代艦長は以下の通りである:[2]
- トーマス・ルーツ中佐(1864年3月- 1864年12月)
- フランシス・シェパード(Francis E. Shepperd)大尉(?- 1864年12月28日、1865年1月14日 - 1月25日)
- アルフェウス・バーボット(Alphonse Barbot)。先任士官として艦長代理(1865年2月)
脚注
編集- ^ C.S.S. Fredericksburg
- ^ Coski (1996), John M. Capital Navy: The Men, Ships and Operations of the James River Squadron, Campbell, CA: Savas Woodbury Publishers. ISBN 1-882810-03-1.
参考資料
編集- Silverstone, Paul H. (2006). Civil War Navies 1855–1883. The U.S. Navy Warship Series. New York: Routledge. ISBN 0-415-97870-X
- Still, William N., Jr. (1985). Iron Afloat: The Story of the Confederate Armorclads (Reprint of the 1971 ed.). Columbia, South Carolina: University of South Carolina Press. ISBN 0-87249-454-3
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。