フレデリク・モンテナール

フレデリク・モンテナール(Frédéric Montenard、1849年5月17日 - 1926年2月11日)はフランスの画家である。風景画や海洋画を描いた[1]

フレデリク・モンテナール
Frédéric Montenard
生誕 1849年5月17日
フランス,パリ
死没 1926年2月11日
フランス,Besse-sur-Issole
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略歴

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パリで生まれた。家族はプロヴァンスの出身で、叔父に彫刻家のジャン=バティスト・ジロー(Jean-Baptiste Giraud:1752–1830)がいる。

エコール・デ・ボザールピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌに学んだ[2]。1872年に初めてサロン・ド・パリに風景画、海洋画を出展した。1873年に同僚の画家のギュスターヴ・ガロー(Gustave Garaud:1844-1914)とオクターヴ・ギャラン(Octave Gallian:1855-1918)と、軍港の街トゥーロンにスタジオを開いた。1878年にはw若い画家のウジェーヌ・ドーファン(Eugene Dauphin:1857-1930)もスタジオに加わった。

1883年にはフランス政府に作品2点が買い上げられ、1889年のパリ万国博覧会の展覧会に出展し、金賞を受賞した。

1890年にシャヴァンヌらの設立した国民美術協会の再建に貢献し、1890年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した[3]。ブラジルからフランスに留学してきた画家のジョヴァンニ・バッティスタ・カスタニェートフランソワ・ナルディとともに指導した。トゥーロンの美術学校(École supérieure d'art Toulon Provence Méditerranée)でも教えた。

1892年以降は大西洋の海洋を描くのをやめ、家族の出身地のプロヴァンスの風景や、村の生活を描くようになった。1894年4にマルセイユの芸術宮殿(Palais des Arts)の壁画を描く仕事を依頼された。有名な画家の作品を飾っていることで知られるパリのレストラン「ル・トラン・ブルー」(Le Train Bleu)のためにも2点の作品を描いた。

第一次世界大戦後はプロヴァンス、ヴァール県の父親の建てた邸で暮らした。

作品

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脚注

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関連文献

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  • Louise Gaggini et al., Le Train Bleu, Edition Presse Lois Unis Service, Paris, 1990 ISBN 2-908557-01-0
  • Anonyme, "Biographie de Frédéric Montenard, (1849-1926)", Journal du centenaire de l'église de la rue Ampère, 1913-2013