フリードリヒ2世 (アンハルト公)
フリードリヒ2世(Friedrich II., 1856年8月19日 - 1918年4月21日)は、アンハルト公国の公(在位:1904年 - 1918年)。全名はレオポルト・フリードリヒ・エドゥアルト・カール・アレクサンダー(Leopold Friedrich Eduard Karl Alexander)。フリードリヒ1世の次男。
フリードリヒ2世 Friedrich II. | |
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第3代アンハルト公 | |
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在位 | 1904年 - 1918年 |
出生 |
1856年8月19日 アンハルト公国、デッサウ |
死去 |
1918年4月21日(61歳没) ドイツ帝国 アンハルト公国、バレンシュテット |
配偶者 | マリー・フォン・バーデン |
家名 | アスカーニエン家 |
父親 | フリードリヒ1世 |
母親 | アントイネッテ・フォン・ザクセン=アルテンブルク |
生涯
編集1856年8月19日、フリードリヒ1世とその妃であったザクセン=アルテンブルク公子エドゥアルトの娘アントイネッテ(1838年 - 1908年)の間に第二子としてデッサウで生まれ、兄のレオポルトが1886年に歿したため世子となった。1889年7月2日にカールスルーエでバーデン大公子ヴィルヘルムの娘マリー(1865年 - 1939年)と結婚したが、二人の間に子供は生まれなかった。
フリードリヒ2世は1904年に父の死去を受けて公位に即いた。彼はザクセン=マイニンゲン公ゲオルク2世と同様に演劇やオペラの後援者として知られ、デッサウは芸術の都として栄えた。
1918年4月21日にフリードリヒ2世は崩御し、弟のエドゥアルトが公位を嗣いだが彼も同年9月13日に崩御。エドゥアルトの次男ヨアヒム・エルンストが17歳で公位に即き、フリードリヒ2世とエドゥアルトの弟アリベルトが摂政となった。しかしその3ヵ月後にドイツ革命が発生し、13世紀から続いたアスカーニエン家によるアンハルトの統治は終止符を打たれた。
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