フランシス・ベアリング (初代ノースブルック男爵)
初代ノースブルック男爵フランシス・ソーンヒル・ベアリング(英: Francis Thornhill Baring, 1st Baron Northbrook. PC, FRS、1796年4月20日 - 1866年9月6日)は、イギリスの政治家、貴族。
初代ノースブルック男爵 フランシス・ベアリング Alexander Baring 1st Baron Ashburton | |
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生年月日 | 、1796年4月20日 |
出生地 | イギリス東インド会社統治下インド・コルカタ |
没年月日 | 1868年9月6日(72歳没) |
死没地 | イギリス・ハンプシャー・ミッチェルデバー・ストラットン・パーク |
所属政党 | ホイッグ党(自由党) |
称号 | 初代ノースブルック男爵、第3代準男爵、枢密顧問官(PC)、王立協会フェロー(FRS) |
配偶者 |
(1)ジェーン (2)アラベラ |
親族 |
初代準男爵サー・フランシス(祖父) 初代アシュバートン男爵(叔父) 初代ノースブルック伯爵(長男) |
内閣 | 第2次メルバーン子爵内閣 |
在任期間 | 1839年8月26日 - 1841年8月30日 |
庶民院議員 | |
選挙区 | ポーツマス選挙区[1] |
在任期間 | 1832年12月10日 - 1865年7月11日[1] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1866年1月4日 - 1866年9月6日 |
経歴
編集1796年4月20日、イギリス東インド会社が統治するインド・コルカタにおいて第2代準男爵サー・トマス・ベアリングとその妻メアリー(旧姓シーリー)の長男として生まれる[2][3]。父はベアリングス銀行創設者である初代準男爵サー・フランシス・ベアリングの長男であり、この頃には東インド会社に勤務していた[4]。
ウィンチェスター・カレッジやイートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学した。同大学から1817年にバチェラー・オブ・アーツ、1821年にマスター・オブ・アーツの学位を取得した。リンカーン法曹院にも入学し、1823年には法廷弁護士資格を取得[2]。
1826年から1865年までポーツマス選挙区から選出されて庶民院議員を務める。所属政党はホイッグ党・自由党だった[2]。1830年から1834年6月までグレイ伯爵内閣で下級大蔵卿を務める。1835年から1839年まで第2次メルバーン子爵内閣で再び下級大蔵卿を務め、1839年から1841年にかけて同内閣の財務大臣に抜擢される[2][3]。
1848年4月3日に父の死により第3代準男爵位を継承した[2]。
1849年1月から1852年2月にかけてはジョン・ラッセル卿内閣で海軍大臣を務めた[2]。
1866年1月4日に連合王国貴族爵位「カウンティ・オブ・サウザンプトンにおけるストラットンのノースブルック男爵(Baron Northbrook, of Stratton, in the County of Southampton)」に叙され[2]、貴族院議員に列した[1]。
同年9月6日にハンプシャー・ミッチェルデバー・ストラットン・パークで死去した[2]。
栄典
編集爵位
編集その他
編集家族
編集1825年に初代準男爵ジョージ・グレイの娘ジェーン(首相第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイの従兄妹にあたる)と最初の結婚をし、彼女との間に爵位を継承する長男トーマスを儲けた[2][3]長男トーマスはインド総督や海軍大臣を歴任し、初代ノースブルック伯爵に叙されている。
1841年には初代エフィンガム伯爵ケネス・ハワードの娘アラベラと二度目の結婚をし、彼女との間に次男フランシス・ヘンリーを儲けた[2]。長男トーマスの家系は2代で絶え、現在ノースブルック男爵位はこの次男フランシスの家系によって継承されている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c UK Parliament. “Sir Francis Baring” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Lundy, Darryl. “Francis Thornhill Baring, 1st Baron Northbrook” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
- ^ a b c Courtney, William Prideaux (1885). Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 03. London: Smith, Elder & Co. . In
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Thomas Baring, 2nd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2015年3月1日閲覧。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Sir Francis Baring
- "フランシス・ベアリングの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジョン・マーカム ジョン・ボーナム=カーター |
ポーツマス選挙区選出庶民院議員 1826年 - 1865年 同一選挙区同時当選者 ジョン・ボーナム=カーター 1826–1838 サー・ジョージ・スタントン準男爵 1838–1852 第4代マンク子爵 1852–1857 ジェイムズ・ダルリンプル=ホーン=エルフィンストーン 1857–1865 |
次代 ウィリアム・ストーン ステファン・ガスリー |
公職 | ||
先代 トーマス・スプリング・ライス |
財務大臣 1839年 - 1841年 |
次代 ヘンリー・ゴールバーン |
先代 初代オークランド男爵 |
海軍大臣 1849年 - 1852年 |
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イギリスの爵位 | ||
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