フランシス・ステュアート (第9代マリ伯爵)

第9代マリ伯爵フランシス・ステュアート英語: Francis Stuart, 9th Earl of Moray1737年1月11日1810年8月28日)は、スコットランド貴族

生涯

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第8代マリ伯爵ジェームズ・ステュアートと1人目の妻グレース・ロックハート(Grace Lockhart、1738年11月17日没、ジョージ・ロックハートの娘)の息子として、1737年1月11日に生まれた[1][2]。イギリス国外で教育を受けた[2]。1767年7月5日に父が死去すると、マリ伯爵の爵位を継承した[1]

1784年から1796年までスコットランド貴族代表議員を務めたが、1790年の貴族代表議員選挙において、「マリ伯爵の爵位は第6代マリ伯爵チャールズ・ステュアートの兄にあたるドゥーン卿ジェームズの娘の子孫によって継承されるべき」との異議が唱えられた(その後、貴族院によって却下された)[1]

1796年6月4日、グレートブリテン貴族であるステュアート城のステュアート男爵に叙された[1]。また、1794年3月17日から1810年8月28日までマリ統監を務めた[3]

1810年8月28日に死去、長男フランシスが爵位を継承した[1]

家族

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1763年6月28日、ジーン・グレイ(Jean Gray、1786年2月19日没、第11代グレイ卿ジョン・グレイの娘)と結婚[1]、下記の子女を儲けた。

  • ジェームズ(1764年頃 – 1776年7月11日)
  • ジョン(1768年2月11日 – 1791年7月6日) - 庶民院議員、生涯未婚[4]
  • フランシス(1771年2月2日 – 1848年1月12日) - 第10代マリ伯爵、子供あり
  • アーチボルド(1771年2月2日 – 1832年10月30日) - 1793年3月17日、コルネリア・プレイデル(Cornelia Pleydell、1830年3月1日没、エドマンド・モートン・プレイデルの娘)と結婚、子供あり。第15代以降のマリ伯爵の先祖にあたる

脚注

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  1. ^ a b c d e f Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1422.
  2. ^ a b Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 364–365.
  3. ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lord-Lieutenants of Counties (Scotland) 1794-". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月17日閲覧
  4. ^ Aspinall, Arthur (1986). "STUART, John, Lord Doune (1768-91).". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月17日閲覧
名誉職
新設官職 マリ統監
1794年 – 1810年
次代
マリ伯爵
スコットランドの爵位
先代
ジェームズ・ステュアート
マリ伯爵
1767年 – 1810年
次代
フランシス・ステュアート
グレートブリテンの爵位
爵位創設 ステュアート男爵
1796年 – 1810年
次代
フランシス・ステュアート