フランキー・デューソン
フランキー・デューソン(Frankie Duson[1]、1878年 - 1936年)は、初期ニューオーリンズ・ジャズのトロンボーン奏者。バディ・ボールデンのジャズ・バンドに参加し、ホールデンが健康を害して離脱してからは、後を引き継いでバンドリーダーとして率い、イーグル・バンド(The Eagle Band)と名を改めて活動を続けた。
フランキー・デューソン Frankie Duson | |
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イーグル・バンドで演奏するフランキー・デューソン(左から3人目・1916年) | |
基本情報 | |
出生名 | Frankie Duson Jr. |
生誕 |
1878年 アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ・アルジャーズ |
死没 | 1936年(58歳没) |
ジャンル | ディキシーランド・ジャズ、ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | トロンボーン |
共同作業者 | ジョニー・ドッズ、バディ・ボールデン、ルイス・デュメイン |
デューソンは、1878年にニューオーリンズのアルジャーズ地域で生まれ、1936年に58歳で死去した[2]。
世界恐慌の間、デューソンは蒸気船S.S キャピトル号(S.S Capitol)のエラ・オーケストラで演奏し、その後は、ルイス・デュメイン(Louis Dumaine)の傍らで演奏した。
脚注
編集- ^ 「Dusen」の表記も見受けられる。
- ^ “Frankie Dusen (1880-1940)”. Red Hot Jazz Archive. 2024年8月4日閲覧。