フォンドメタル・GR02 (Fondmetal GR02) は、フォンドメタル1992年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはセルジオ・リンランド。決勝最高成績は10位。

フォンドメタル・GR02
カテゴリー F1
コンストラクター フォンドメタル
デザイナー セルジオ・リンランド(テクニカル)
ハンス・フーシェ(エアロダイナミクス)
先代 フォンドメタル・GR01
主要諸元[1]
シャシー カーボンファイバーコンポジット製モノコック
サスペンション(前) コニ製ショックアブソーバー, プッシュロッド
サスペンション(後) コニ製ショックアブソーバー, プッシュロッド
全長 4,335 mm[2]
全高 1,000 mm
トレッド 前:1,800 mm (70.9 in)/後:1,680 mm (66.1 in)
ホイールベース 2,875 mm (113.2 in)
エンジン フォードコスワース HB 3,498 cc (213.5 cu in) 90°V8, NA,
トランスミッション フォンドメタル/Xトラック 6速
重量 505 kg (1,113 lb)
燃料 アジップ
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム フォンドメタル
ドライバー 14. スイスの旗 アンドレア・キエーザ
14. ベルギーの旗 エリック・ヴァン・デ・ポール
15. イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ
初戦 1992年カナダグランプリ
出走優勝ポールFラップ
7000
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概要

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フォンドメタルのオーナー、ガブリエーレ・ルミフォメットF1の性能に満足せず、GR02はそれに代わって開発された。GR02は前作のGR01同様に3.5リッターのコスワース HBを搭載した。デビュー戦は1992年カナダグランプリガブリエル・タルキーニがドライブした。チームメイトのアンドレア・キエーザは次戦のフランスグランプリで初めてドライブした。GR02はその可能性を示してメディアから称賛されたが、フォンドメタルは財政難によりベルギーグランプリの後にF1から撤退した。

設計および開発

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ガブリエーレ・ルミは1991年シーズン、フォメットF1の性能には納得せず、ロビン・ハード率いるフォメットとの提携を終了した[3]。その後ルミは、始めにトム・ウォーキンショー・レーシングと交渉を行い、結局セルジオ・リンランドのアスタウト・スタジオと契約を結んだ[3]。リンランドは以前ブラバム・BT60の開発に携わり、GR02はアスタウトにとって初めての作品であった[4]。当初はブラバムの1992年用マシン、BT61として設計されたマシンであったが、資金難で開発中止になったものだった。しかしながら、この変更は1992年シーズン開幕に間に合わせるにはあまりにも遅すぎたため、フォメットF1が改修されてGR01として投入された[3]。エンジンはコスワース DFRに替えて、新たにコスワース HBを搭載した。これにより出力は100馬力増加した[3]。GR02の開発は1992年初旬に始められ、最初の原型は1992年5月にフェラーリフィオラノ・テストコースで走行した[4]。GR02はBT60よりもシンプルな機械コンポーネントを持ち、Xトラック製のギアボックスと、2本のショックアブソーバーを前後に装備した[4]。しかしながら、空力デザインは従前のものとは異なり、細身のノーズコーンにアンヘドラル・ウィングを採用していた[3]。アンヘドラル・ウィングを採用することで気流を床下およびディフューザーに導いていた[4]。GR02のデビュー戦は1992年カナダグランプリで、プレスは称賛の記事を書き連ねた。オートスポーツ誌は「かつてF1パドックの冗談であったチームの大きな前進」と記し、BBC解説者のマレー・ウォーカーは、「素晴らしい車、非常にカッコいい車、良い性能、それでも未だに多くの開発の必要がある。」と語った[3]。しかしながら、GR02のテストは不十分で、良いペースを示したものの、信頼性の問題によって苦しめられた[3]。フォンドメタルがF1を撤退した後、GR02は1995年フォルティ・コルセによってFG01として再開発されたとうわさされた[3][5]

レース戦績

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1992年カナダグランプリでGR02は実戦参加の準備ができていた[3]ガブリエル・タルキーニにこの新車が与えられたが、信頼性問題は週末の間中彼を苦しめた。タルキーニは予選を18位で通過したが[3]、決勝では序盤でトランスミッショントラブルのためリタイアした[6]。2台目のGR02は次戦フランスグランプリに投入された。決勝ではジョーダンマウリシオ・グージェルミンが第1コーナーでクラッシュ、アンドレア・キエーザはそれに巻き込まれてリタイアした[3][7]。一方混乱を免れたタルキーニも6周目にスロットルケーブルの故障でリタイアした[3][7]。次戦のイギリスではスペアカーが無かったため、キエーザはGR01をドライブした。タルキーニは予選を15位で通過、決勝は14位でフィニッシュした[8]。このレースでタルキーニは8番目のタイムをたたき出し、フェラーリイヴァン・カペリロータスミカ・ハッキネンを上回った[3]。つづくドイツグランプリでタルキーニは予選19位、決勝はエンジントラブルでリタイアした[3][9]。キエーザは成績不振とスポンサーマネーの関係からドイツグランプリ後に解雇され、ハンガリーグランプリからはエリック・ヴァン・デ・ポールがドライブする[10]。両名とも予備予選の対象であったが、問題なく予選を通過、タルキーニは12位という順位で通過した。決勝ではタルキーニは1周目の接触、ヴァン・デ・ポールは3周目にスピンでリタイアした[11]。今になってこれらのクラッシュとGR02の非信頼性はチームの財政に悪影響を及ぼしてきた。チームがベルギーグランプリに用意できたスペアは僅かであったが[3]、タルキーニは予選11位、ヴァン・デ・ポールは予選15位で通過した。決勝ではタルキーニが25周目にエンジントラブルでリタイアしたが、ヴァン・デ・ポールは10位でフィニッシュしている[12]。しかしながら、この結果もチームの恩恵とはならず、ルミはイタリアグランプリを最後に撤退することを決定した[3]。イタリアでタルキーニは予選20位、ヴァン・デ・ポールは25位であったが、決勝ではヴァン・デ・ポールがクラッチ、タルキーニがギアボックスのトラブルでリタイアした[13]。ルミは財政難からペイドライバーとしてジュゼッペ・ブガッティの起用も考えたが、負債の増加を考えてチームから手を引いた[3]

スペック

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  • ブレーキキャリパー ブレンボ
  • ブレーキディスク カーボンインダストリー
  • ステアリング フォンドメタル
  • ホイールリム フォンドメタル
  • 冷却システム SECANラジエーター
  • エンジン フォード・コスワース・HBエンジン シリーズV
  • イグニッション&インジェクションシステム コスワース
  • クラッチ APレーシング
  • 燃料タンク ATL
  • 燃料 アジップ

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1992年 フォンドメタルF1 SpA フォードコスワース HB
V8
G RSA
 
MEX
 
BRA
 
ESP
 
SMR
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
JPN
 
AUS
 
0 NC
14   キエーザ Ret DNQ
  ヴァン・デ・ポール Ret 10 Ret
15   タルキーニ Ret Ret 14 Ret Ret Ret Ret

参照

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  1. ^ Fondmetal GR02”. STATS F1. 10 January 2015閲覧。
  2. ^ FONDMETAL GR02 Team Data F1コンストラクターズ・スタイルブック 56-57頁 ソニーマガジンズ 1992年10月25日発行
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Fondmetal – Profile”. F1 Rejects (2007年7月24日). 2013年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月10日閲覧。
  4. ^ a b c d 1990–1992”. Sergio Rinland Consulting. 10 January 2015閲覧。
  5. ^ Diepraam, Mattijs (12 March 2010). “Identity changes in Grand Prix racing”. 8W. 10 January 2015閲覧。
  6. ^ Canadian GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。
  7. ^ a b French GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。
  8. ^ British GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。
  9. ^ German GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。
  10. ^ Hungarian GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。
  11. ^ 1992 Hungarian Grand Prix”. The Official Formula 1 Website. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月10日閲覧。
  12. ^ Belgian GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。
  13. ^ Italian GP, 1992 Race Report”. Grandprix.com. 10 January 2015閲覧。

外部リンク

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