フォルクマールゼン
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ヘッセン州 |
行政管区: | カッセル行政管区 |
郡: | ヴァルデック=フランケンベルク郡 |
緯度経度: | 北緯51度24分44秒 東経09度06分55秒 / 北緯51.41222度 東経9.11528度座標: 北緯51度24分44秒 東経09度06分55秒 / 北緯51.41222度 東経9.11528度 |
標高: | 海抜 259 m |
面積: | 67.47 km2 |
人口: |
6,830人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 101 人/km2 |
郵便番号: | 34471 |
市外局番: | 05693 |
ナンバープレート: | KB, FKB, WA |
自治体コード: |
06 6 35 020 |
行政庁舎の住所: | Steinweg 29 34471 Volkmarsen |
ウェブサイト: | www.volkmarsen.de |
首長: | ハルトムート・リンネクーゲル (Hartmut Linnekugel) |
郡内の位置 | |
地図 | |
フォルクマールゼン (ドイツ語: Volkmarsen) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州ヴァルデック=フランケンベルク郡に属す小都市である。
地理
編集位置
編集フォルクマールゼンは北ヘッセン、カッセルの西北西約 28 km(直線距離)のヴァルデック盆地の北端に位置し、ディーメル川の谷へ向かう緩やかな斜面に位置している。ハービヒツヴァルト自然公園は、本市の東にある。
フォルクマールゼンの市内を通り、あるいは市域に接して、西部をディーメル川の支流ツヴィステ川が流れている。中核市区の南西を流れるヴァッター川、北を流れるヴァンデ川、東を流れるエルペ川はツヴィステ川に注ぐ。9本の小川がツヴィステ川を経由してディーメル川に合流する前に市域を流れる。ツヴィステ川から分岐し、防衛施設の一部として市壁前を流れる運河が旧市街西部を「ミューレングラーベン」として現存している。
隣接する市町村
編集フォルクマールゼンは、北はヴァールブルク(ノルトライン=ヴェストファーレン州ヘクスター郡)、東はブロイナとヴォルフハーゲン(ともにカッセル郡)、南と西はバート・アーロルゼン、北西はディーメルシュタット(ともにヴァルデック=フランケンベルク郡)と境を接している。
市の構成
編集本市には、名前の由来となった中核市区であるフォルクマールゼンの他、エーリンゲン、ヘルプゼン、ヘルレ、キュルテおよび自然文化財ホレンカンマーを含むリュタースハイムの各市区が属している。
歴史
編集フォルクマールゼンは1155年のコルヴァイ修道院の十分の一税リストに初めて記録されている。教皇グレゴリウス9世の保護状にフォルクマールゼンは1232年に初めて都市として記述されている。コルヴァイ修道院は、1304年にこの街の半分とクーゲルスブルクをケルン大司教に質入れした。残り半分は1440年に後継者によって質入れされた。1507年から市と城はヴェストファーレン公領の所属となり、その後コルヴァイ修道院はその権利を取り戻した。1802年にヘッセン=ダルムシュタット方伯はヴェストファーレン公領を占領した。ヘッセン=ダルムシュタット方伯とヘッセン=カッセル方伯は、この街の所有を巡って対立し、ほとんど両軍の武力衝突にまで発展した。同時期にオラニエ=ナッサウ家の皇太子は本市に対する請求を唱えた。初めはヘッセン=ダルムシュタット方伯は占領を続けたが、1806年までに上述の皇太子はこの街を手に入れた。しかしその1年後にはナポレオンのヴェストファーレン王国がこの街を獲得し、カントン・フォルクマールゼンの首邑となった。1814年のウィーン会議後にはプロイセンがこの街を保持したが、1817年にヘッセン選帝侯に譲渡した。1866年には、ヘッセン選帝侯領がプロイセンによって併合されたことに伴い、再びプロイセン領となった。1929年4月1日にヴァルデック自由州がプロイセン州に併合され、かつてヴァルデックのヘルプゼン、ヘルレ、その他の集落がフォルクマールゼンに編入された。1945年からこの街はヘッセン州に所属している。
ヘッセン州の地域再編に伴い、1972年にフォルクマールゼンはヴォルフハーゲン郡からヴァルデック郡に移され、1974年からヴァルデック=フランケンベルク郡に属した。
宗教
編集この街は、宗教改革中もその後もヴェストファーレン公領に所属したことで、フォルクマールゼンではカトリックが優勢なままで、フルダ司教区に属した。
行政
編集市議会
編集フォルクマールゼンの市議会は、31議席からなる[2]。
姉妹都市
編集文化と見所
編集郷土博物館
編集カッセラー通り6番地の「ドクトル・ボック邸」にフォルクマールゼン郷土博物館があり、展示や歴史ワークショップが開催され、Rückblende - Gegen das Vergessen e.V. のフォルクマールゼンおよびその周辺地域のユダヤ人の生活に関する資料・情報センターとなっている[3]。
ゲオパーク
編集フォルクマールゼン市内にはゲオパーク・グレンズヴェルテのステーションが3つある。クーゲルスブルク、炭酸泉、ラレーケスベルクの採掘抗がそれらである。
建造物
編集- 中核市区にあるカトリック教会、聖マリエン教会、1260年頃建造。
- ヴィトマール礼拝堂(聖マリエン・ウント・マルティン礼拝堂)2000年から2003年にかけて修復が行われた。
- クーゲルスブルク、1200年頃に建造された城、七年戦争で破壊された城趾が遺る。
- シャイト監視所、フォルクマールゼン=エーリンゲン=リュタースハイムの境界に建つ監視塔。
- ユーデン監視所、中核市区とヘルプゼンとの間に建つ監視塔。
史跡
編集- 旧裁判広場、エーリンゲン市区の西
自然文化財
編集- ホレンカンマー、リュタースハイム市区の近くにある砂岩の岩窟
- フッカースヘーレン、フォルクマールゼンとリュタースハイムとの間にある洞穴
- フォルクマールザー・ザウアーブルンネン(フォルクマールゼンの炭酸泉)、州から鉱泉に指定されたミネラルウォーターの水源
経済と社会資本
編集交通
編集フォルクマールゼンは、アウトバーン A44号線(ドルトムント - カッセル区間)および鉄道コルバッハ - カッセル線に面している。1時間ごとにカッセル=ヴィルヘルムスヘーエ駅]行きおよびコルバッハ南駅行きのレギオナルエクスプレスが運行している。またコルバッハ、ヴァールブルク、ブロイナ行きの路線バスも運行している。
引用
編集- ^ Hessisches Statistisches Landesamt: Bevölkerung in Hessen am 31.12.2023 (Landkreise, kreisfreie Städte und Gemeinden, Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)]
- ^ 市議会選挙結果 (hsl.de)
- ^ http://www.rueckblende-volkmarsen.de/
参考文献
編集- Paul Lebrecht Kailuweit: Chronik der Stadt Volkmarsen. Geschichts- und Heimatverein Volkmarsen e. V. Volkmarsen, Band 1, 1993; Bd. 2, 1996
- Michael Gosmann: Eine unbekannte Stadtansicht Volkmarsens mit der Kugelsburg von 1803, in: SüdWestfalen Archiv. Landesgeschichte im ehemals kurkölnischen Herzogtum Westfalen und der Grafschaft Arnsberg, Arnsberg 2001, pp. 167-171.
- Manfred Schöne: Das Herzogtum Westfalen unter hessen-darmstädtischer Herrschaft 1802 - 1816, Olpe 1966.
- Wolf Vervoort: 750 Jahre Stadt Volkmarsen – Chronik einer Kleinstadt, Herausgeber: Festausschuß zur 750-Jahrfeier der Stadt Volkmarsen, Druckerei Hans Sauerland, Volkmarsen; Mai 1983.
- Wolf Vervoort: Führer durch die Altstadt Volkmarsen und ihre Gemarkung, Volkmarsen: Heimat- und Geschichtsverein Volkmarsen, 2004
これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。