ドミンゴ・フェリックス・アンドゥハル・ホセDomingo Felix Andujar Jose, 1965年5月2日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手外野手)。右投両打。

フェリックス・ホセ
Felix Jose
米独立リーグヴァイパーズ時代
(2008年6月14日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サント・ドミンゴ
生年月日 (1965-05-02) 1965年5月2日(59歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1988年9月2日
KBO / 1999年4月3日
最終出場 MLB / 2003年9月28日
KBO / 2007年5月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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アメリカ時代(1984 - 1998)

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ホセは18歳だった1984年1月にオークランド・アスレチックスと契約した。その後数年間はマイナーリーグで育成され、1988年9月2日の対ニューヨーク・ヤンキース戦(オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム)でメジャーデビューを果たした。当時のアスレチックスは黄金時代を迎えており、ホセが守る外野はホセ・カンセコデーブ・ヘンダーソンリッキー・ヘンダーソンらスター選手で埋まっており、1989年までは十分な出場機会が得られなかった。

しかしホセの能力は高く評価されており、翌1990年、契約期間が切れた指名打者デーブ・パーカーとアスレチックスは再契約せず、空いた指名打者にカンセコが移ったため、ホセに外野レギュラーの座が与えられた。しかし、ホセは期待に応える成績を残せず(8月末まで打率.264、本塁打8、打点39)、ポストシーズンに向けて準備するアスレチックスは、8月末に巧打の外野手ウィリー・マギーセントルイス・カージナルスから獲得する代わりにホセを放出した。

1991年、ホセはシーズン当初から活躍し、4月の月間最優秀選手のみならずMLBオールスターゲーム出場選手にも選出され、シーズン通して打率.305、本塁打8、打点77の好成績を収めた。翌1992年もホセの打撃力は健在で、5月月間最優秀選手を獲得するとともにシーズン全体でも打率.295、本塁打14、打点75と前年並みの成績を残した。しかし、当時長打力不足に悩んでいたカージナルスは長距離打者の獲得を目指しており、同年シーズンオフ、グレッグ・ジェフリーズとのトレードによりカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。ロイヤルズでの初年度(1993年)は打率.253と低迷したが、1994年には打率.303、本塁打11、打点55と好打者ぶりを発揮した。

1995年5月、成績不振によりロイヤルズを解雇された。その後、シカゴ・カブスボストン・レッドソックストロント・ブルージェイズとマイナー契約したが、メジャーリーグに復帰することはなく、数年間は複数のチームを転々としていた。

韓国プロ野球での活躍(1999)

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転機となったのは1999年のことで、同年、韓国プロ野球の第2回外国人選手ドラフトでロッテ・ジャイアンツから1位指名を受け韓国へ渡った。そこで打率.327、36本塁打、122打点と顕著な活躍を見せた。ホセの活躍は打線の爆発を誘い、ロッテは4年ぶりにプレーオフへ進出した。

三星ライオンズとのプレーオフではチームが1勝3敗と崖っぷちに立たされた第5戦でサヨナラホームランでプレーオフの流れを変えた。3勝3敗と互角になった最終戦の第7戦では2点を追う6回表に盧長震から反撃の口火を切るソロホームランを放った。すでに第5戦でサヨナラホームランでシリーズの流れを変えたホセだっただけに、3勝1敗の優勢を覆られる不安から興奮した三星のファンが、次々とグラウンドに物を投げ入れた。その中で、ミネラルウォーターの入ったペットボトルがホセの股間を直撃。ホセは激高して三星のファンが集まっていたスタンドにバットを放り込んだ。これで暴徒化した三星ファンとロッテ選手が防球ネットを間において、にらみ合いながら乱闘寸前の騒ぎとなり、鎮圧に警官隊まで出動するまでに至った。この事件は「大邱大乱闘」と呼ばれている。ホセは退場処分となったが、試合はこの後ロッテが逆転勝ちして韓国シリーズ進出を決めた。

チームが韓国シリーズに出場したことで、ホセに対する処分を巡って様々な意見があったが、韓国シリーズの興行の面を考慮した韓国野球委員会の裁定で、韓国シリーズへの出場は許容し、翌年のレギュラーシーズンで10試合出場停止の処分を下すことにした。

2000年以降

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2000年は、ロッテとメジャー球団のオファーを両天秤にかけて、ニューヨーク・ヤンキースと契約。5年ぶりにメジャー復帰したホセだったが、レギュラー選手が怪我や不振に陥った時のためのバックアップ要員であったため、満足な出場機会は得られなかった。

2001年にはメジャーからのオファーがなく、再びロッテに入団。1999年に課せられた出場停止処分をどう適用するかでまた議論を起こした。結局、韓国野球委員会の裁定で2000年のシーズン1年間韓国でプレーしていない期間に処分された10試合を含ませることで、この年は開幕戦から出場することができるようになった。この年の対三星戦で裵英洙から受けた死球に怒り、彼に暴行を働いた。

2002年にはモントリオール・エクスポズとロッテとの二重契約が明るみに出てロッテを解雇される騒動も巻き起こした。同年にはリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのメキシコシティ・レッズでプレーしていたが9月にアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍し、三度メジャー復帰を果たした。翌2003年もダイヤモンドバックスの一員として主に代打で18試合に出場している。

同年のオフには古巣ロッテとの契約交渉も行われたが、本人が高額年俸を要求したこともあり、復帰は実現しなかった。

その後リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルを経て、2005年12月18日には韓国ロッテと契約し、5年ぶりの韓国球界復帰となったが、復帰後は目立った成績を残せず2007年シーズン途中に解雇された。ロッテを解雇されて以降は独立リーグリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルを渡り歩き[1]2009年に独立リーグ・ノーザンリーグシャンバーグ・フライヤーズ英語版でプレーしたのを最後に現役を引退した。

ロッテでの活躍以降、ロッテの本拠地である釜山のファンからの絶大な支持を盾に、毎年シーズンオフにロッテ球団とメジャー球団のオファーを両天秤にかけ、二重契約すら辞さずに有利な側と契約してしまうため、韓国では彼のこのような態度を快く思わないファン・関係者も多かった。

2013年6月25日、社稷野球場でのロッテ・ジャイアンツのイベント出席のため、6年ぶりに韓国を訪問している。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 OAK 8 6 6 2 2 1 0 0 3 1 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .333 .333 .500 .833
1989 20 61 57 3 11 2 0 0 13 5 0 1 0 0 4 0 0 13 2 .193 .246 .228 .474
1990 101 365 341 42 90 12 0 8 126 39 8 2 2 1 16 0 5 65 8 .264 .306 .370 .675
STL 25 93 85 12 23 4 1 3 38 13 4 4 0 0 8 0 0 16 1 .271 .333 .447 .780
'90計 126 458 426 54 113 16 1 11 164 52 12 6 2 1 24 0 5 81 9 .265 .311 .385 .696
1991 154 625 568 69 173 40 6 8 249 77 20 12 0 5 50 8 2 113 12 .305 .360 .438 .798
1992 131 551 509 62 150 22 3 14 220 75 28 12 0 1 40 8 1 100 9 .295 .347 .432 .779
1993 KC 149 539 499 64 126 24 3 6 174 43 31 13 1 2 36 5 1 95 5 .253 .303 .349 .652
1994 99 403 366 56 111 28 1 11 174 55 10 12 0 2 35 6 0 75 9 .303 .362 .475 .838
1995 9 32 30 2 4 1 0 0 5 1 0 0 0 0 2 0 0 9 1 .133 .188 .167 .354
1999 ロッテ 132 553 462 93 151 29 3 36 294 122 12 3 0 7 79 7 5 119 8 .327 .425 .636 1.061
2000 NYY 20 32 29 4 7 0 0 1 10 5 0 1 0 1 2 0 0 9 1 .241 .281 .345 .626
2001 ロッテ 117 449 367 90 123 20 2 36 255 102 7 4 0 4 127 28 1 72 4 .335 .503 .695 1.198
2002 ARI 13 25 19 5 5 0 0 2 11 4 0 0 0 2 4 0 0 8 1 .263 .360 .579 .939
2003 18 24 18 1 6 1 0 1 10 6 0 0 0 0 6 1 0 3 1 .333 .500 .556 1.056
2006 ロッテ 122 504 415 59 115 21 0 22 202 78 3 2 0 3 84 5 2 83 13 .277 .399 .487 .886
2007 23 100 86 5 22 4 0 1 29 12 0 0 0 0 14 3 0 12 3 .256 .360 .337 .697
MLB:11年 747 2756 2527 322 708 135 14 54 1033 324 102 57 3 14 203 28 9 507 50 .280 .334 .409 .743
KBO:4年 394 1656 1330 247 411 74 5 95 780 314 22 9 0 14 304 43 8 286 28 .309 .437 .586 1.023
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はリーグ歴代最高

年度別守備成績

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中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)




































1988 OAK - 1 1 0 0 0 1.000 5 7 0 0 0 1.000
1989 - 4 4 0 0 0 1.000 16 31 2 1 0 .971
1990 24 64 1 1 0 .985 26 51 1 2 0 .963 53 96 3 2 1 .980
STL 2 8 0 0 0 1.000 1 4 0 0 0 1.000 21 30 0 0 0 1.000
'90計 26 72 1 1 0 .986 27 55 1 2 0 .966 74 126 3 2 1 .985
1991 - - 153 268 14 3 2 .989
1992 - - 127 272 11 6 1 .979
1993 KC 10 19 1 0 1 1.000 - 136 218 5 7 2 .970
1994 - - 98 194 7 4 2 .980
1995 - - 7 15 2 0 0 1.000
2000 NYY - 6 5 0 1 0 .833 8 8 0 0 0 1.000
2002 ARI - 1 0 0 0 0 ---- 4 5 0 0 0 1.000
2003 - - 1 0 0 0 0 ----
MLB 36 91 2 1 1 .989 39 65 1 3 0 .957 629 1144 44 23 8 .981
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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背番号

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  • 6 (1988年 - 1990年途中)
  • 40 (1990年途中 - 同年終了)
  • 34 (1991年 - 1995年、1999年、2001年)
  • 45 (2000年)
  • 8 (2002年 - 2003年)
  • 99 (2006年 - 2007年)

脚注

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外部リンク

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