フィル・エスポジト

カナダのアイスホッケー選手 (1942 - )

フィル・エスポジトPhil Esposito、本名:Philip Anthony Esposito1942年2月20日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州スーセントマリー生まれの元プロアイスホッケー選手。

フィル・エスポジト

2012年
生誕
出生地
(1942-02-20) 1942年2月20日(82歳)
カナダの旗 カナダ
オンタリオ州スーセントマリー
身長
体重
6 ft 1 in (1.85 m)
205 lb (93 kg; 14 st 9 lb)
ポジション センター
シュート 左打ち
所属したチーム ニューヨーク・レンジャース
ボストン・ブルーインズ
シカゴ・ブラックホークス
プロ選手期間 1968年 – 1981年
1984年殿堂入り

NHL史上最も優れた選手の1人と称されている。オーダー・オブ・カナダ受勲者。ホッケーの殿堂入りを果している。

経歴

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1964年のシーズンからシカゴ・ブラックホークスに加入した。当時、偉大なるボビー・ハルにセンタリングすることで、自身が良質なゲームメーカーであることを証明してみせるとともに、2度のアート・ロス記念賞(リーグポイント王)に輝いた。

1967年には、電撃的ともいわれるトレードでケン・ホッジフレッド・スタンフィールドとともにボストン・ブルーインズに移籍した。

ケン・ホッジとフレッド・スタンフィールドは、ブルーインズ入団後も従来とかわらず平凡なスター選手にとどまったが、エスポジトはその偉大なる得点能力を開花させ、1968-1969シーズンにNHL初のシーズン100ポイント超えとなる126ポイント(49ゴール、77アシスト)をたたき出した[1]。また、この後も1971年から1975年までの5年連続を含む現役通算6度のシーズン100ポイント超の記録を樹立した[1]

NHL のオールター戦において第1チーム(スターターメンバー)に1969年から1974年まで6年連続で選出され、1969年、1974年には、リーグの最優秀選手 (MVP) に輝いている。当時、ボストン・ブルーインズのエスポジトファンは、彼の得点を祝うため車のバンパーに次のような文言が記されたステッカーを貼った - "Jesus saves, Espo scores on the rebound." (「イエスは救い給う、エスポジトは、リバウンドを得点する。」)。

絶頂期には、同僚の同じくスーパースターボビー・オアとともに、ブルーインズを1970年と1972年のスタンレー・カップ優勝に導いた。

1970-1971シーズンには、従来の記録を破り、当時シーズン最多ゴール記録となる76ゴールを上げた。この記録は、1982年2月に、ウェイン・グレツキーが対バッファロー・セイバーズ戦で79ゴール目を上げるまで、リーグ最高記録であった。この試合で記録を抜かれたエスポジトは、ゲームで使用されたパックをグレツキーに手渡しでプレゼントした。なお、1971年にシーズン最多ポイントの記録も打ち立てたが、この記録も同様にグレツキーによって更新された。

1972年に開催されたサミット・シリーズで、カナダ代表を鼓舞するキャプテンの役割を果たすとともに、このシリーズのポイント王に輝いた。これにより、同年のカナダで最も活躍した運動選手に与えられるルー・マーシュ賞を獲得するとともに、オーダー・オブ・カナダも受賞した。

また、1976年開催のチャレンジ・カップのカナダ代表や1977年アイスホッケー世界選手権にも選手として出場をしている。

1975-1976シーズンはチームメートのキャロル・バドネとともに、ブラッド・パーク、ジャン・ラテルとの交換トレードでニューヨーク・レンジャースに移籍した。この頃になると、攻撃力も往時の輝きを失いつつあったが、それでもレンジャースのキャプテンを務めて、全試合に出場しチームを適切に導いて、引退するまでチームに有益なポイントゲッターであり続けた。1981年に現役を引退し、その後放送のキャスターに転身を図った。

1980年代の中盤で3年間レンジャースのマネージャー及びコーチを務め、1992年には、NHL チーム数拡大に伴ってタンパベイ・ライトニングの設立に一役買った。1998年までは、ライトニングの会長及び総支配人を務め、その後も同チームのラジオ解説者として活躍を行った。

1984年には、ホッケーの殿堂入りを果たした。エスポジトの着用した背番号7番は、一時ボストン・ブルーインズのスーパースターでディフェンスのレイ・ボークが着用していたが、ボークはエスポジトの栄誉を称えてこれを返上し、感動的なセレモニーを経て、ブルーインズの永久欠番となっている。

家族

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弟のトニー・エスポジトはシカゴ・ブラックホークスのゴールテンガーとして活躍し、ホッケーの殿堂入りを果している。

詳細情報

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通算成績

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    レギュラーシーズン   プレイオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1961-1962 セント・キャサリンズ OHA 49 32 39 71 54 6 1 4 5 9
1961-1962 スーセントマリー EPHL 6 0 3 3 2 - - - - -
1962-1963 セントルイス EPHL 71 36 54 90 51 - - - - -
1963-194 セントルイス EPHL 43 26 54 80 65 - - - - -
1963-1964 シカゴ・ブラックホークス NHL 27 3 2 5 2 4 0 0 0 0
1964-1965 シカゴ・ブラックホークス NHL 70 23 32 55 44 13 3 3 6 15
1965-1966 シカゴ・ブラックホークス NHL 69 27 26 53 49 6 1 1 2 2
1966-1967 シカゴ・ブラックホークス NHL 69 21 40 61 40 6 0 0 0 7
1967-1968 ボストン・ブルーインズ NHL 74 35 49 84 21 4 0 3 3 0
1968-1969 ボストン・ブルーインズ NHL 74 49 77 126 79 10 8 10 18 8
1969-1970 ボストン・ブルーインズ NHL 76 43 56 99 50 14 13 14 27 16
1970-1971 ボストン・ブルーインズ NHL 78 76 76 152 71 7 3 7 10 6
1971-1972 ボストン・ブルーインズ NHL 76 66 67 133 76 15 9 15 24 24
1972-1973 ボストン・ブルーインズ NHL 78 55 75 130 87 2 0 1 1 2
1973-1974 ボストン・ブルーインズ NHL 78 68 77 145 58 16 9 5 14 25
1974-1975 ボストン・ブルーインズ NHL 79 61 66 127 62 3 4 1 5 0
1975-1976 ボストン・ブルーインズ NHL 12 6 10 16 8 - - - - -
1975-1976 ニューヨーク・レンジャース NHL 62 29 38 67 28 - - - - -
1976-1977 ニューヨーク・レンジャース NHL 80 34 46 80 52 - - - - -
1977-1978 ニューヨーク・レンジャース NHL 79 38 43 81 53 3 0 1 1 5
1978-1979 ニューヨーク・レンジャース NHL 80 42 36 78 37 18 8 12 20 20
1979-1980 ニューヨーク・レンジャース NHL 80 34 44 78 73 9 3 3 6 8
1980-1981 ニューヨーク・レンジャース NHL 41 7 13 20 20 - - - - -
NHL合計 1282 717 873 1590 910 130 61 76 137 138

表彰

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記録

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  • NHLオールスターゲーム選出:10回
  • 1590ポイント(ゴール数717、アシスト数873)
  • ゴール数歴代5位、アシスト数歴代18位、ポイント数歴代8位(いずれも2005年現在)
  • シーズン最多ショット記録 (550、1971年)
  • 13年連続シーズン30ゴール以上 (2005年現在史上第2位)
  • シーズン最多ショット (550, 1970-1971)

代表歴

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  • 1972 サミット・シリーズ カナダ代表
  • 1976 カナダ・カップ カナダ代表
  • 1977年アイスホッケー世界選手権カナダ代表

成績

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チーム イベント GP G A Pts PIM
1972 カナダ サミット 8 7 6 13 15
1976 カナダ カナダ・カップ 7 4 3 7 0
1977 カナダ 世界選手権 10 7 3 10 14

脚注

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  1. ^ a b Boston's Top 50 Athletes of All-Time Previous36 of 52 #16 Phil Esposito, Boston Bruins (1967-1976)”. bleacherreport.com (2010年8月17日). 2011年2月19日閲覧。

外部リンク

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