フィリップ・ド・ヴィリエ

フィリップ・ル・ジョリス・ド・ヴィリエ・ド・サンティニョン子爵(Vicomte Philippe le Jolis de Villiers de Saintignon、1949年3月25日 - )は、フランス政治家。極右政党フランス運動Mouvement pour la France、MPF)元党首国民議会議員、欧州議会議員ジャック・シラク内閣文化次官を歴任。

ド・ヴィリエ子爵(2007年4月、トゥールーズにて撮影)

ヴァンデー貴族の家系で、カトリック教徒。弟にフランス軍統合参謀総長を務めたピエール・ド・ヴィリエが居る。

2022年フランス大統領選挙ではエリック・ゼムールを支持している[1]

政治経歴

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ヴァンデ県ブーローニュ出身。生家はヴァンデーの貴族の家柄。1981年フランソワ・ミッテランが大統領になるとこれに反発して郡長を辞任。1986年下院国民議会議員にフランス民主連合から立候補し当選する。コアビタシオンジャック・シラク内閣ができると文化次官に就任した。

1994年、フランス民主連合を離党し、新党「フランスのための運動」(フランス運動)を結成。同党首に就任する。

同党は、欧州統合に対して慎重ないし反対の立場を取り、1999年同じく欧州懐疑論者シャルル・パスクワ率いるフランスヨーロッパ独立連合Rassemblement pour la France et l'Indépendance de l'Europe)と提携して欧州議会議員選挙に臨み、13議席を獲得した。なお、これに先立ち1995年フランス大統領選挙にド・ヴィリエは立候補しているが、4.7パーセントの得票に終わっている。

2004年欧州議会議員選挙では、フランス連合の党勢はド・ヴィリエを含め3議席に留まった。ド・ヴィリエは、フランス政界において、保守主義、伝統尊重、欧州懐疑論者の指導的政治家として行動し、2005年欧州憲法批准をめぐる議論では反対の立場を取った。ド・ヴィリエは、フランスの政治家で最初に「ポーランド人の配管工」(Plombier polonais)というフレーズを用いて、低賃金の外国人労働者がEU拡大に伴い東欧から流入することを攻撃した人物となった。2007年欧州議会議員選挙に再選し、会派「独立と民主」(Independence and Democracy)に所属。2014年まで在職した。

2007年フランス大統領選挙にフランスのための運動から立候補し、81万8407票(2.23%)を得票し6位に終わった。

参考文献

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  • 畑山敏夫『フランス極右の新展開――ナショナル・ポピュリズムと新右翼』(国際書院
  • 畑山敏夫『現代フランスの新しい右翼――ルペンの見果てぬ夢』  畑山敏夫(著) 法律文化社
  • 及川健二『沸騰するフランス――暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』(花伝社

脚注

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  1. ^ Présidentielle. Avec Éric Zemmour, Philippe de Villiers retrouve la scène politique” (フランス語). Ouest-France.fr. 2022年3月22日閲覧。

外部リンク

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