フィジー植民地

1874年から1970年まで存在したイギリスの植民地
フィジー植民地
Colony of Fiji(英語)
iTikotiko vakaitikotiko e Viti(フィジー語)
फिजी की कॉलोनी(ヒンディー語)
フィジー王国 1874年 - 1970年 フィジー (ドミニオン)
フィジー植民地の国旗 フィジー植民地の国章
国旗国章
国歌: God Save the Queen(英語)
女王陛下万歳
フィジー植民地の位置
言語 英語
フィジー語
フィジー・ヒンディー語
ロツマ語
首都 レブカ
(1874年 - 1877年)

スバ
(1877年 - 1970年)
君主
1874年 - 1901年ヴィクトリア
1901年 - 1910年エドワード7世
1910年 - 1936年ジョージ5世
1936年 - 1936年エドワード8世
1936年 - 1952年ジョージ6世
1952年 - 1970年エリザベス2世
総督
1874年 - 1875年 ハークルス・ロビンソン英語版
1968年 - 1970年ロバート・シドニー・フォスター英語版
首相
1967年 - 1970年カミセセ・マラ英語版
変遷
設立 1874年10月10日
独立1970年10月10日
通貨フィジー・ポンド英語版(1874 ‐ 1969)
フィジー・ドル(1969 ‐ 1970)
現在フィジーの旗 フィジー

フィジー植民地(フィジーしょくみんち、英語: Colony of Fiji)は、現在のフィジーにあたる地域に存在していたイギリスの直轄植民地である。

解説

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イギリスは1852年フィジー王国を併合する機会を拒否した。セル・エペニサ・ザコンバウはトゥイ・ヴィティ(フィジー国王のこと)の称号を保持することを条件に、島々の割譲を要求した。しかしこの要求は、イギリス軍にとって受け入れ難いものであり、また借金が膨れ上がっていたこともあり、ザコンバウは1871年オーストラリアと借金返済の合意をし、ヨーロッパ人入植者が多数を占める立憲君主制の政府を樹立した。新政府の崩壊を受け、ザコンバウは再び割譲の要求をし、イギリスはこれを受け入れた。1874年10月10日よりイギリスの統治が始まり、1970年10月10日まで続いた[1][2][3][4]

脚注

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  1. ^ Sarah Searight, "The British Acquisition of Fiji" History Today (Nov 1972), pp 806–813, online
  2. ^ William D. McIntyre, "Disraeli's colonial policy: The creation of the Western Pacific High Commission, 1874–1877." Historical Studies: Australia and New Zealand 9#35 (1960): 279–294.
  3. ^ Owen Parnaby, "Aspects of British policy in the Pacific: The 1872 pacific islanders protection act, " Historical Studies: Australia and New Zealand 8#29 (1957) pp 54-65 https://doi.org/10.1080/10314615708595097
  4. ^ Paul Knaplund, "Sir Arthur Gordon and Fiji: Some Gordon-Gladstone Letters." Historical Studies: Australia and New Zealand 8#31 (1958) pp 281–296.

座標: 南緯17度41分02秒 東経178度50分24秒 / 南緯17.6840度 東経178.8401度 / -17.6840; 178.8401