フアン・アントニオ・フレチャ

フアン・アントニオ・フレチャ(Juan Antonio Flecha、1977年9月17日- )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身で、スペイン国籍の自転車競技選手。

フアン・アントニオ・フレチャ
Juan Antonio Flecha
基本情報
本名 Juan Antonio Flecha Giannoni
フアン・アントニオ・フレチャ・ヒアンノニ
生年月日 (1977-09-17) 1977年9月17日(47歳)
国籍 スペインの旗 スペイン
身長 181cm
体重 72kg
選手情報
所属 ヴァカンソレイユDCM
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 ルーラー[1]
クラシックスペシャリスト
プロ経歴
2000–2001
2002–2003
2004–2005
2006–2009
2010–2012
2013–
リラックス・フエンラブラダ
iバネスト.com
ファッサボルトロ
ラボバンク
チーム・スカイ
ヴァカンソレイユDCM
主要レース勝利
ツール・ド・フランス 区間1勝 2003
チューリッヒ選手権 2004
オムロープ・ヘット・ニウスブラート 2010
最終更新日
2010年3月1日

ロードレース選手屈指のルーラーであり、ワンデイレースのスペシャリストとして多くのクラシックレースで活躍した。 2013年、所属チームヴァカンソレイユ・DCMの解散をもって、現役引退。ツアー・オブ・北京が最後のレースとなった。

経歴

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2000年にリラックス・フエンラブラダと契約を結びプロデビュー。

2001年

2002年iバネスト.comに移籍。

2003年

2004年、ファッサボルトロに移籍。

2005年

2006年にファッサボルトロが解散したことに伴い、ラボバンクへ移籍。

2007年

2008年

2010年チーム・スカイへ移籍。

2011年

2012年

2013年

エピソード

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  • 2003年のツール・ド・フランスの勝利ではゴール時に弓を引き放つポーズを決めて[2]話題となった。これは自身の名前である「フレチャ」がスペイン語で「矢」を意味することにひっかけている。
  • 2005年のヘント〜ウェヴェルヘムでは終盤でアタックを成功させ、逃げ切りかと思われたが、後方から追い上げたニコ・マッタンにラスト300mで抜かれてしまった。しかしこの時のマッタンの追い上げは、通常は反則とされる審判車とニュートラルカーによるドラフティングを巧みに利用したものだったため、レース後しばらく審議が続いたが、車の前方が詰まっていたことなどを理由に結果は覆らず、結局2位となった。
  • 2008年のブエルタ・ア・エスパーニャではシカの頭をかぶり星条旗を担ぐという出で立ちで路肩を併走していたファンからその星条旗を奪い取り路肩に捨てるというパフォーマンスを演じ、実況席の大爆笑を誘った。これが縁で翌日はこのファンと仲良く併走する姿を見せている。
  • 2011年のツール・ド・フランスでは第9ステージで中継車に跳ねられる(更にジョニー・フーガーランドを巻き込んでしまい、フーガーランドは有刺鉄線の柵に突っ込んでしまった)という事態に見舞われてしまうが、二人ともレースに復帰し、完走している。
  • 2013年の第100回ツール・ド・フランス第1ステージでは、逃げ集団を形成、さらにその逃げ集団をあえてプロトンに近づけるという方法を試行する。この方法は「フレチャ・スペシャル」と呼ばれ、プロトンと実況席を大混乱させた。実況の解説を担当していた栗村修氏をして「プロトンという巨人に対して落ちている道具で何とかしようとする工夫」と言わしめた。フレチャ・スペシャルは記録に残る成果を上げたとはいえないが、彼のもつ経験としたたかさを十分に見せつけた。

脚注

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  1. ^ 『ciclissimo 20012 No.27 2012プロチームガイド&選手名鑑』2012年、35頁。
  2. ^ ツール・ド・フランス2003第11ステージ、フィニッシュ時の画像

外部リンク

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