ピョートル・リャザーノフ
ピョートル・ボリソヴィチ・リャザーノフ(ロシア語: Пётр Борисович Рязанов、英語: Pyotr Borisovich Ryazanov, 1899年10月21日 – 1942年10月11日)はソビエト連邦の作曲家・音楽学者・教育者。民謡の研究で知られている。
ピョートル・ボリソヴィチ・リャザーノフ | |
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基本情報 | |
生誕 | 1899年10月21日 |
出身地 | ソビエト連邦 ナルヴァ |
死没 | 1942年10月11日(42歳没) |
学歴 | ペトログラード音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
担当楽器 | 作曲 |
経歴
編集1899年、ナルヴァにて音楽家の家庭に生まれる。ペトログラード音楽院に入学して作曲をニコライ・ソコロフとアレクサンドル・ジトミルスキーに、管弦楽法をマクシミリアン・シテインベルクに、フーガをレオニード・ニコラーエフに師事。
1925年より音楽院の教壇に立ち、門下よりゲオルギー・スヴィリードフやアンドリア・バランチヴァーゼ、ニキータ・ボゴスロフスキー、アレクシー・マチャヴァリアーニ、アナトーリー・ノヴィコフ、ワシーリー・ソロヴィヨフ=セドイ、オレスト・イェヴラホフ、ボリス・マイゼリ、イワン・ジェルジンスキーらを輩出した。第2次世界大戦中はレニングラード攻囲に際してタシケントに疎開し、チフス熱によりトビリシにて他界した。
外部リンク
編集- Grove entry on Ryazanov[リンク切れ]
- Biography (Russian)
脚注
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