ピエール・ルイージ・ファルネーゼ
ピエール・ルイージ・ファルネーゼ(Pier Luigi Farnese, 1503年11月19日 - 1547年9月10日)は、ファルネーゼ家の初代パルマ公(在位:1545年 - 1547年)。父はローマ教皇パウルス3世。
ピエール・ルイージ・ファルネーゼ Pier Luigi Farnese | |
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パルマ公 | |
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在位 | 1545年 - 1547年 |
出生 |
1503年11月19日 カニーノ |
死去 |
1547年9月10日(43歳没) ピアチェンツァ |
配偶者 | ジェローラマ・オルシーニ |
子女 |
アレッサンドロ ヴィットーリア オッターヴィオ ラヌッチョ オラーツィオ |
家名 | ファルネーゼ家 |
父親 | ローマ教皇パウルス3世 |
母親 | シルヴィア・ルッフィーニ |
生涯
編集1527年、神聖ローマ皇帝カール5世のローマ略奪の時から軍人となった。1537年、妻ジェローラマ・オルシーニの実家オルシーニ家の伯位、ピティリアーノ伯爵を襲名する。1538年にカストロ伯(のちカストロ公)となる。1545年にパルマ公とピアチェンツァ公を兼ねた。非常に冷酷な人間として知られる一方、同性愛者・男色家といわれていた。
1547年、貴族ら数名に刺された上、ピアチェンツァ広場に向けて窓から投げ落とされて死んだ。皇帝カール5世の代理フェランテ1世・ゴンザーガ(フランチェスコ2世・ゴンザーガとイザベラ・デステの息子)は、直ちに公国を占領した。
ジェローラマとの間には5子が生まれた。
脚注
編集関連作品
編集- 「黄金のローマ」(小説)塩野七生著。女性主人公オランピアの愛人として登場する。
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