ビル・ハッチソン (野球)
ウィリアム・フォレスト・"ビル"・ハッチソン(William Forrest "Bill" Hutchison[1] ,1859年12月17日 - 1926年3月19日)は、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 |
アメリカ合衆国 コネチカット州ニューヘイブン |
生年月日 | 1859年12月17日 |
没年月日 | 1926年3月16日(66歳没) |
身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
初出場 | 1884年6月10日 |
最終出場 | 1897年5月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ニックネームは"Wild Bill"(ワイルド・ビル)。1890年代のシカゴ・コルツ(現カブス)で活躍、1890年から3年連続で最多勝利投手となった。
経歴
編集エール大学を卒業後、1884年にユニオン・アソシエーションのカンザスシティ・ユニオンズに加わり、そこで2試合に登板する。その後しばらくメジャーリーグで投げる機会はなく、1889年にシカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)に入団したときは既に29歳になっていた。
1890年にホワイトストッキングスはシカゴ・コルツと改名し、この年からハッチソンはシカゴのエースとして、コルツの全試合の半分以上に登板し、優勝こそなかったもののコルツをリーグ上位に押し上げる活躍をする。1890年は42勝25敗の成績で、この年5月30日のブルックリンとのダブルヘッダーでは2試合とも登板し2勝した記録も残っている。1891年にはシーズン13連勝を含む44勝を記録、次の1892年には75試合に登板し67完投、622回を投げ、36勝36敗で3年続けてナショナルリーグの最多勝利投手となった。
ところが1893年に投手-本塁間の距離が現在と同じ60フィート6インチに改訂されると、ハッチソンは思うように勝ち星を挙げられなくなってしまう。シカゴには1895年まで在籍したが、同年13勝21敗の成績に終わると、翌年セントルイス・ブラウンズで6試合に登板したのを最後に引退した。1926年にカンザスシティで死去。
詳細情報
編集投手成績
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登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
375 | 346 | 3078.0 | 183 | 21 | 163 | 4 | 1234 | 3123 | 104 | 1132 | 10* | 122 | 1228 | 3.59 |
タイトル
編集- 最多勝利:3回(1890-1892年)
- 最多奪三振:1回(1892年)
- 最多セーブ投手:1回(1890年)
打撃成績
編集- 通算成績:244試合、731打数129安打、本塁打2、打点52、打率.176
脚注
編集- ^ 資料により、"Hutchinson"(ハッチンソン)と表記される。