ビル・シャーマン

アメリカのバスケットボール選手 (1926 - 2013)

ウィリアム・ウォルトン・シャーマン (William Walton Sharman, 1926年5月25日 - 2013年10月25日) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長185cm、体重79kg。ポジションはシューティングガード。選手時代はボストン・セルティックスの1950年代後半の黄金期を支えた選手の一人であり、コーチとしても多くのチームをプレーオフに導いた。プレイヤーとして1976年バスケットボール殿堂入りした。2004年にはコーチとしても殿堂入りし、2つの部門で殿堂入りした史上3人目の選手となった。

ビル・シャーマン
Bill Sharman
故人
ポジション SG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1926年5月25日
没年月日 (2013-10-25) 2013年10月25日(87歳没)
出身地 テキサス州アビリーン
身長(現役時) 185cm (6 ft 1 in)
体重(現役時) 79kg (174 lb)
キャリア情報
出身 南カリフォルニア大学
ドラフト 1950年 17位
永久欠番 セルティックス  21 
選手経歴
1950-1951
1951-1961
ワシントン・キャピトルズ
ボストン・セルティックス
指導者経歴
1966-1968
1968-1971
1971-1976
サンフランシスコ・ウォリアーズ
ロサンゼルス/ユタ・スターズ
ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴

選手時代

コーチ時代

エグゼクティブ時代

Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴

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選手経歴

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大学時代

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シャーマンはテキサス州アビリーンに生まれたが、育ったのはカリフォルニア州である。高校も地元のポータービル高校を卒業し、その後にアメリカ海軍に2年間所属し第二次世界大戦にも出撃した。復員後、1946年にサザン・カリフォルニア大学へ進学し、またバスケットを始める。1950年には全米ファーストチームにも選ばれ、また、パシフィックコースト・カンファレンスのMVPに1949年1950年と連続で選出された活躍を見せた。

カレッジ時代の通算成績は平均18.6ポイントである。

NBAキャリア

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1950年にシャーマンはワシントン・キャピトルズに入団しNBAでデビューする。翌1951年にボストン・セルティックスに移籍し、ボブ・クージーとバックコートプレイヤーとしてコンビを組む。

50年代後半にはセルティックスは黄金期を迎えつつあり、レッド・アワーバックヘッドコーチの指揮の下、1956-57、1958-59、1959-60、1960-61シーズンとNBAファイナル優勝を果す。シャーマンはシュート力のあるガードとしてセルティックスの黄金期を支えた。特にフリースローの成功率は極めて高く、93.2%の成功率を記録したシーズンもあった。通算でもフリースロー成功率88.3%、フィールドゴール成功率42.6%という記録を残している。

また、1950年から1955年まではプロ野球のマイナーリーグブルックリン・ドジャースにも所属し、プレーしていたという異色な経歴を持っている。 1961年に引退するが、NBAファーストチーム選出4回、セカンドチーム選出3回を数えた。NBAオールスターゲーム選出は8回に及び、1955年にはオールスターMVPに輝いている。

1976年に選手として殿堂入りを果した。また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出されている。

コーチ時代

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引退後、シャーマンはコーチとなり1967年サンフランシスコ・ウォリアーズに就任した。ウォリアーズでは2年間コーチを務めた後、ABAのロサンゼルス・スターズのコーチに就任する。ロサンゼルス・スターズがユタ州に本拠地を移し、ユタ・スターズとなった1970-71シーズンにはABAチャンピオンシップを制した。1970年にはABAの最優秀コーチ賞に表彰された。

翌シーズンからNBAに戻り、1971年ロサンゼルス・レイカーズのコーチに就任する。当時のレイカーズはウィルト・チェンバレンを擁しており、1971-72シーズンは33連勝を記録し、NBAチャンピオンシップを制する。シャーマンはその年にNBA最優秀コーチ賞に選ばれた。ABA、NBA両方でチームを優勝まで率い、最優秀コーチ賞に選出されたのは史上2人だけである。1976年にコーチを辞任しレイカーズのゼネラルマネージャーに就任。1982年からは社長にも就いたが、1990年に一線を退いた。

2004年にコーチとして殿堂入りを果し、ジョン・ウッデンレニー・ウィルケンズと並んでプレイヤー部門、コーチ部門の2つの部門で殿堂入りした史上3人目の選手となった。

2013年10月25日にカリフォルニア州の自宅で死去[1]。87歳没。

個人成績

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* リーグ1位
太字 キャリアハイ
NBAチャンピオン

レギュラーシーズン

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Season Team GP MPG FG% FT% RPG APG PPG
1950–51 WSC 31 .370 .889 3.5 1.3 12.2
1951–52 BOS 63 22.0 .389 .859 3.5 2.4 10.7
1952–53 71 32.9 .436 .850* 4.1 2.7 16.2
1953–54 72 34.3 .450 .844* 3.5 3.2 16.0
1954–55 68 36.1 .427 .897* 4.4 4.1 18.4
1955–56 72 37.5 .438 .867* 3.6 4.7 19.9
1956–57 67 35.9 .416 .905* 4.3 3.5 21.1
1957–58 63 35.1 .424 .893 4.7 2.7 22.3
1958–59 72 33.1 .408 .932* 4.1 2.5 20.4
1959–60 71 27.0 .456 .866 3.7 2.0 19.3
1960–61 61 25.2 .422 .921* 3.7 2.4 16.0
Career 711 32.0 .426 .883 3.9 3.0 17.8
All-Star 8 24.3 .385 .815 3.9 2.0 12.8

プレーオフ

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Year Team GP MPG FG% FT% RPG APG PPG
1952 BOS 1 27.0 .583 1.000 3.0 7.0 15.0
1953 6 33.5 .333 .938 2.5 2.5 11.7
1954 6 34.3 .432 .860 4.2 1.7 18.8
1955 7 41.4 .500 .921 5.4 5.4 20.7
1956 3 39.7 .391 .941* 2.3 4.0 17.3
1957 10 37.7 .381 .953* 3.5 2.9 21.1
1958 11 36.9 .407 .929 4.9 2.3 21.1
1959 11 29.3 .425 .966* 3.3 2.5 20.1
1960 13 28.0 .421 .811 3.5 1.5 16.8
1961 10 26.1 .511* .889 2.7 1.7 16.8
Career 78 33.0 .426 .911 3.7 2.6 18.5

コーチ戦績

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NBA/ABA

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Team Season Regular season Playoffs
G W L W-L% G W L W-L% Results
SFW 1966–67 81 44 37 .543 15 9 6 .600 NBAファイナル敗退
1967–68 82 43 39 .524 10 4 6 .400 ディビジョン決勝敗退
LAS
UTS
1968–69 78 33 45 .423
1969–70 84 43 41 .512 17 10 7 .588 ABAファイナル敗退
1970–71 84 57 27 .679 18 12 6 .667 ABAチャンピオン
LAL
1971–72 82 69 13 .841 15 12 3 .800 NBAチャンピオン
1972–73 82 60 22 .732 17 9 8 .529 NBAファイナル敗退
1973–74 82 47 35 .573 5 1 4 .200 カンファレンス準決勝敗退
1974–75 82 30 52 .366
1975–76 82 40 42 .488
Career 819 466 353 .569 97 57 40 .588

関連項目

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脚注

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  1. ^ ビル・シャーマン氏が死去 NBAで選手、監督の両方で殿堂入り 報和新聞 2013年10月26日

外部リンク

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