ビルング家
ビルング家(Billunger)は、中世ドイツにおいて10世紀から12世紀始めにかけてザクセン大公を世襲した貴族の家系である。ビッルング家とも呼ばれる。
概要
編集ビルング家の先祖について詳しいことは分かっていないが、9世紀のザクセンの伯リウドルフの妻オーダはビルング家出身とされている。936年に国王オットー1世によりヘルマン・ビルングが東部国境の辺境伯に任命されたことが、同家がザクセン大公を世襲する端緒となった[1]。ヘルマン・ビルングの子ベルンハルト1世より正式にザクセン大公とされ、4代にわたってザクセン大公位を世襲した。最後の大公マグヌスには男子後継者がなく、娘が二人いたが、娘たちはそれぞれヴェルフ家のバイエルン公ハインリヒ9世(黒公)およびアスカーニエン家のバレンシュテット伯オットー(裕福伯)と結婚し、それぞれの子が後にザクセン公となった[2]。
系図
編集ビア (王妃マティルデ姉妹) (イメディング家) | ヴィヒマン1世 (-944) | ヘルマン ザクセン辺境伯 | アメルング (-962) ヴェルデン司教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィヒマン2世 (-967) | エクバート (-994) | ブルーノ (-976) ヴェルデン司教 | ハトヴィヒ (-1014) =ジークフリート(ゲロの子) | ベルンハルト1世 ザクセン公 | ヒルデガルト (シュターデ伯ハインリヒ1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アイリカ (ハインリヒ・フォン・シュヴァインフルト娘) | ベルンハルト2世 ザクセン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴルフヒルト (ノルウェー王オーラヴ2世娘) | オルドルフ ザクセン公 | ゲルトルート (ハルデンスレーベン伯コンラート娘) | ゲルトルート 1=ホラント伯フロリス1世 2=フランドル伯ロベール1世 | イダ 1=下ロートリンゲン公フリードリヒ 2=ナミュール伯アルベール3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マグヌス ザクセン公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ9世 (黒公) バイエルン公 | ヴルフヒルト | アイリーケ | オットー (裕福伯) バレンシュテット伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ10世 (傲慢公) バイエルン公 ザクセン公 | アルブレヒト1世 (熊公) ブランデンブルク辺境伯 ザクセン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴェルフ家 | アスカーニエン家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
編集参考文献
編集- 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- コルヴァイのヴィドゥキント、三佐川亮宏 訳 『ザクセン人の事績』 知泉書館、2017年