ビラーワル・ブットー・ザルダーリー
ビラーワル・ブットー・ザルダーリー(シンド語: بلاول ڀٽو زرداری、ウルドゥー語: بلاول بھٹو زرداری、英: Bilawal Bhutto Zardari、1988年9月21日 - )は、パキスタンの政治家。パキスタン人民党 (PPP) 党首。元外務相。
ビラーワル・ブットー・ザルダーリー | |
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ボイス・オブ・アメリカのインタビューにて(2019年) | |
パキスタン・イスラム共和国外務大臣 | |
任期 2022年4月27日 – 2023年8月14日 | |
前任者 | シャー・メフムード・クレイシー |
後任者 | ジャリル・アッバス・ジラニ(暫定) |
パキスタン人民党代表 | |
就任 2007年12月30日 | |
前任者 | ベーナズィール・ブットー |
個人情報 | |
生誕 | 1988年9月21日(36歳) パキスタン、カラチ |
国籍 | パキスタン |
政党 | パキスタン人民党 |
親戚 | ベーナズィール・ブットー(母) アースィフ・アリー・ザルダーリー(父) ズルフィカール・アリー・ブットー(祖父) ムルタザ・ブットー(叔父) |
住居 | パキスタン、カラチ イギリス、オックスフォード アラブ首長国連邦、ドバイ |
出身校 | ラシッド男子校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
職業 | 政治家 |
宗教 | イスラム教 |
ベーナズィール・ブットー元首相とアースィフ・アリー・ザルダーリー大統領の子で、パキスタン初の民選首相にして人民党結党者のズルフィカール・アリー・ブットー大統領の孫にあたる[1]。ビラーワル・ザルダーリー・ブットーとも表記される。
来歴
編集教育
編集第二次ブットー政権時はカラチグラマースクールで学んでいたが[要出典]、イスラマバードのフレーベル国際学校に通った[2]。後にドバイのラシッド男子校にも通い、生徒会の副会長を務めた[3]。彼はテコンドーの黒帯を所持している[4]。2010年6月までオックスフォード大学で学んだ。
人民党党首
編集2007年12月30日、ビラーワルはパキスタン人民党の党首に選任された[5]。暗殺されたベーナズィールの後継候補として夫のアースィフ・アリーの名が挙がっていたが、息子が職を後継し[6]、アースィフ・アリーは共同党首となった[7]。記者会見で、アースィフ・アリーはビラーワルが今後「ビラーワル・ザルダーリー」ではなく「ビラーワル・ブットー・ザルダーリー」の名を使用することを発表した[8]。人民党のウェブサイトでは、彼の名はビラーワル・ザルダーリー・ブットーと表記されている[9]。
ベーナズィール・ブットー暗殺
編集2007年12月、ベーナズィールが暗殺されるとパキスタンに一時帰国した。ビラーワルはオックスフォード大学での研究を修了してから党務に専念したいとしていた[10]。オックスフォードでの彼の警護には、最低でも毎年100万ポンドかかると見込まれていた[11]。2008年9月には、父の大統領就任式での宣誓に立ち会うため帰国した[12]。
政界入り
編集2018年に国民議会議員に初当選。2022年4月11日にシャバズ・シャリーフが首相に就任し、4月27日に外務大臣として入閣。33歳での外務大臣就任は同国史上最年少であった[13]。2023年8月14日にシャリーフ政権が終焉したことに伴い、ザルダーリー外務大臣を退任した[14]。
土地問題
編集2009年、ビラーワルとアースィフ・アリーの親子がイスラマバードの本来なら20億ルピーほどする一等地をたった6200万ルピーで買い上げたことが明るみに出た[15]。この問題は国会でも非常に真剣に取り上げられ、なかでも野党のパキスタンイスラム連盟(PML)は親子に対し国立国会事務局の休会動議を提出した[16]。
脚注
編集- ^ Family victim of delayed justice, says Bilawal by Shamim-ur-Rahman. (DAWN) 8 August 2004
- ^ “PPP chairman Bilawal leaves for Oxford”. Sify News 2008年1月8日閲覧。
- ^ Rashid School for Boys Student Council Minutes Archived 2008年1月1日, at the Wayback Machine. 13 December 2005
- ^ “Benazir's son regrets he couldn't play cricket”. The Times of India. (2007年12月30日) 2007年12月30日閲覧。
- ^ “Bhutto's Son Given Top Party Job”. Sky News. オリジナルの2009年6月28日時点におけるアーカイブ。 2007年12月30日閲覧。
- ^ “Son to head Bhutto's party”. Al Jazeera English. (2007年12月30日) 2007年12月30日閲覧。
- ^ “Bhutto's son, husband to be co-leaders of party”. Reuters 2007年12月30日閲覧。
- ^ Walsh, Declan (2007年12月31日). “My mother said democracy is best revenge - Bhutto son”. London: The Guardian 2007年12月31日閲覧。
- ^ “Office Bearers of CEC”. ppp.org.pk. 24 January 2010閲覧。
- ^ “Key party role for Bhutto's son”. The Press Association. (2007年12月30日). オリジナルの2008年1月2日時点におけるアーカイブ。 2007年12月30日閲覧。
- ^ “Bilawal's security to cost Britain 1 million pounds”. Rediff. (2008年1月14日) 2008年1月16日閲覧。
- ^ Wilkinson, Isambard (2008年9月9日). “Benazir Bhutto's widower Asif Ali Zardari sworn in as Pakistan president”. The Telegraph (London) 2008年9月23日閲覧。
- ^ “Bilawal Bhutto Zardari takes oath as Pakistan's foreign minister”. Business Today. (2022年4月27日) 2022年4月28日閲覧。
- ^ “Pakistan to seek friendship with all and enmity with none, says Foreign Minister Jilani”. The Indian Express. (2023年8月18日) 2023年11月9日閲覧。
- ^ “Zardari, son buy 300 acres of prime land in Islamabad”. The Peninsula. 2009年11月4日閲覧。
- ^ “PML-N NA motion on Zardari’s land purchase”. Pakistan Observer. 2009年11月6日閲覧。
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 シャー・メフムード・クレイシー |
パキスタン・イスラム共和国外務大臣 2022年 - 2023年 |
次代 ジャリル・アッバス・ジラニ (暫定) |
党職 | ||
先代 ベーナズィール・ブットー |
パキスタン人民党党首 2007年 - 2015年までアースィフ・アリー・ザルダーリーと共同 |
現職 |