ビュードリーのボールドウィン伯爵

ビュードリーのボールドウィン伯爵: Earl Baldwin of Bewdley)は、連合王国貴族伯爵位。首相を務めたスタンリー・ボールドウィンが首相退任後の1937年に叙されたのに始まる。

ビュードリーのボールドウィン伯爵
Earl Baldwin of Bewdley

ボールドウィン伯爵紋章
創設時期1937年6月8日
創設者ジョージ6世
貴族連合王国貴族
初代スタンリー・ボールドウィン
現所有者ベネディクト・ボールドウィン
相続人ジェームズ・ボールドウィン
相続資格初代伯の直系嫡出の男系男子(1st Earl's heirs male of the body lawfully begotten)
付随称号コーヴェデール子爵
邸宅マナー・ファーム・ハウス
旧邸宅アストリー・ホール英語版
モットー神の助けにより城壁を越えん
(Per Deum Meum Transilio Murum)

歴史

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20世紀前期に保守党政権の首相を三度にわたり務めたスタンリー・ボールドウィンは、首相を退任した後の1937年6月8日連合王国貴族爵位ビュードリー英語版のボールドウィン伯爵(Earl Baldwin of Bewdley)シュロップシャー州におけるコーヴェデール英語版の初代コーヴェデール子爵(Viscount Corvedale, of Corvedale in the County of Shropshire)に叙せられた[1][2][3]

その長男の2代伯オリヴァー・ボールドウィン英語版(1899-1958)は、襲爵前に労働党の庶民院議員となり、1948年に襲爵した後の1949年から1950年にかけてリーワード諸島総督(Governor of the Leeward Islands)を務めた[2]

2代伯には子供がなかったため、死後、弟のアーサー・ボールドウィン英語版(1904–1976)が3代伯位を継承した。彼はグレート・ウェスタン・レールウェイの社長(Director)、ついで1938年から1974年までエクイタブル生命保険会社英語版の社長を務めた[2]

3代伯の死後、その息子のエドワード・ボールドウィン英語版(1938–2021)が4代伯を継承した。彼は1999年に貴族院の世襲貴族の議席が92議席に限定されたのちも世襲貴族枠の貴族院議員に選び残された[2]

初代伯はウスターシャーアストリー英語版アストリー・ホール英語版を1902年に購入し、1947年に死去するまで邸宅としたが[4]、初代伯の死後は売却されて学校となった[5]。現在の邸宅はオックスフォードシャーウルバーコート英語版のマナー・ファーム・ハウス(Manor Farm House)である[2]


伯爵家の紋章に刻まれるモットーは『神の助けにより城壁を越えん(Per Deum Meum Transilio Murum)[2][6]

現当主の保有爵位

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現当主ベネディクト・ボールドウィンは以下の爵位を保有している[1][2]

ビュードリーのボールドウィン伯爵 (1937年)

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b Lundy, Darryl. “Stanley Baldwin, 1st Earl Baldwin of Bewdley” (英語). thepeerage.com. 2019年6月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Baldwin of Bewdley, Earl (UK, 1937)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年6月8日閲覧。
  3. ^ "No. 34405". The London Gazette (英語). 8 June 1937. p. 3663.
  4. ^ Astley Hall on www.britishlistedbuildings.co.uk, 2019年6月13日参照
  5. ^ Astley Hall on www.parksandgardens.org, 2019年6月13日参照
  6. ^ Brody, Iles 著、向後 英一 訳『ウィンザー公とともに去りぬ』(初版)新潮社東京都新宿区、1956年、173頁。ASIN B000JB0DN4