ビュジェ原子力発電所
ビュジェ原子力発電所(ビュジェげんしりょくはつでんしょ、フランス語:centrale nucléaire du Bugey)は、フランス共和国アン県サン=ヴルバ(fr:Saint-Vulbas)の南に所在する原子力発電所。施設はローヌ川の西岸にあり、リヨンから東北東へ35km、ブール=カン=ブレスから南へ40km、スイスのジュネーヴから西に110kmに位置している。
![]() Centrale nucléaire du Bugey | |
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![]() | |
種類 | 原子力発電所 |
電気事業者 | フランス電力 |
所在地 |
![]() アン県サン=ヴルバ |
北緯45度47分54秒 東経5度16分15秒 / 北緯45.79833度 東経5.27083度座標: 北緯45度47分54秒 東経5度16分15秒 / 北緯45.79833度 東経5.27083度 | |
1号機 | |
出力 | 54万 kW |
着工日 | 1965年12月 |
営業運転開始日 | 1972年7月1日 |
2号機 | |
出力 | 91万 kW |
着工日 | 1972年11月 |
営業運転開始日 | 1979年3月 |
概要
編集1965年に最初の原子炉で天然ウラン黒鉛減速ガス冷却炉式であるBugey-1の建設が始まり、1968年にはフランス電力公社にBugey-1の建設を許可する法が成立する[1]。1972年4月15日に試運転を開始し、7月には営業運転に移行する。1969年、軽飛行機であるヨーデル D-140が発電所の右側を飛行し、ローヌ川を横断する送電架線を切断した。この機体は増水していたローヌ川に墜落し乗員4人が死亡している[2]。
1972年には2号機の建設が始まり、1979年から営業運転を開始し、以後は残り3基の営業運転が1980年まで立て続いている。この内、2号機と3号機は冷却水をローヌ川から直接取水し、4号機と5号機は冷却塔を使用している。1984年4月14日、5号機はアクチュエータ制御システムの内2つの冗長系統のいずれかで停電、この障害で原子炉停止を伴う外部電源の一時的消失が発生した。一部の機器制御のため冷温停止状態に持ち込まれる[3]。
1994年、黒鉛減速ガス冷却炉の1号機が廃止される。
2003年にヨーロッパ各地を襲った熱波は排水の温度上昇をもたらした。2011年には5号機の原子炉10年検査にあたっていた下請け業者を含む従業員7人について、放射線検出器が鳴動し軽度の汚染に晒された[4]。
原子炉の特性
編集各原子炉の特性は以下のとおり[5]。
原子炉名 | 格納容器形式 (原子炉形式) |
容量(MW) | 運用者 | 建造者 | 建設開始 | 送電網接続運転開始 | 営業運転開始 | 原子炉の運転終了 | ||
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炉心熱出力(MWt) | 定格出力(MWe) | 平均出力(MWe) | ||||||||
Bugey-1 | - (CGR) |
555 | 540 | フランス電力 | フラマトム | 1965年12月1日 | 1972年4月15日 | 1972年7月1日 | 1994年5月27日 | |
Bugey-2 | CP0 | 2785 | 945 | 910 | フランス電力 | フラマトム | 1972年11月 | 1978年5月 | 1979年3月 | 2019年計画 |
Bugey-3 | CP0 | 2785 | 945 | 910 | フランス電力 | フラマトム | 1973年9月 | 1978年9月 | 1979年3月 | 2019年計画 |
Bugey-4 | CP0 | 2785 | 917 | 880 | フランス電力 | フラマトム | 1974年6月 | 1979年3月 | 1979年7月 | 2019年計画 |
Bugey-5 | CP0 | 2785 | 917 | 880 | フランス電力公社 | フラマトム | 1974年7月 | 1979年7月 | 1980年1月 | 2019年計画 |