ビナリ・ユルドゥルム
ビナリ・ユルドゥルム(トルコ語: Binali Yıldırım, 1955年12月28日 - )は、トルコの政治家。同国首相、大国民議会議長、公正発展党党首を歴任した。2018年に大統領制へ移行したことで首相職が廃止されたため、最後の首相となった。議院内閣制から大統領制に移行する際に、首相が保持する行政権を当時の大統領であったエルドアンに委譲している。
ビナリ・ユルドゥルム Binali Yıldırım | |
---|---|
(2016年撮影) | |
生年月日 | 1955年12月28日(68歳) |
出生地 | レファヒエ市カユキョイ,エルズィンジャン県, トルコ |
出身校 |
イスタンブール工科大学 世界海事大学 |
前職 | フェリー会社社長、元トルコ首相 |
所属政党 | 公正発展党 |
配偶者 | セミハ・ユルドゥルム |
子女 | 3人 |
サイン | |
公式サイト | 公式サイト |
内閣 | ユルドゥルム内閣 |
在任期間 | 2016年5月24日 - 2018年7月9日 |
大統領 | レジェップ・タイイップ・エルドアン |
在任期間 | 2018年7月12日 - 2019年2月18日 |
内閣 | アフメト・ダウトオール内閣 |
在任期間 | 2015年11月24日 - 2016年5月24日 |
内閣 | レジェップ・タイイップ・エルドアン内閣 |
在任期間 | 2011年11月1日 - 2013年12月25日 |
選挙区 | イズミル選挙区 |
在任期間 | 2016年5月22日 - 2017年5月21日 |
大統領 | レジェップ・タイイップ・エルドアン |
経歴
編集1955年12月20日にレファヒエで誕生。ビナリという名はアラビア語でアリーの息子を意味する[1]。ユルドゥルムはアラビア語で稲妻を表す[2]。イスタンブール工科大学の海洋工学部で、海洋工学の学位を取得[3]。スウェーデンの世界海事大学で海上安全と環境保護に関する専門的な研修を受けた[4]。
1994年から2000年までイスタンブール高速フェリーコーポレーションCEOを歴任。当時はエルドアンがイスタンブール市長を務めていたことから、エルドアンの援助の元、ユルドゥルムは船舶業界でトルコ有数の大企業へと成長していった。しかし、アリ・ミュフィット・ギュルトゥナに親族で不正な献金が回ったことでユルドゥルムはCEOの辞任へ追い込まれる[5]。後にエルドアンとは盟友になり、公正発展党の創設メンバーの一人となる[6]。2002年の総選挙でイスタンブール選挙区1の議員候補として出馬し、当選[7]。2006年、アレヴィー派への政治的差別を減らしていくという公約を掲げている[8]。
ユルドゥルムは2002年11月から2011年11月まで運輸大臣、2011年から2013年と2015年から2016年には運輸大臣から改変された運輸海事通信大臣を務めた。地上交通の向上を促進するために750万ポンドの工事費で各都市間の高速鉄道を繋げる計画を発表。ユルドゥルムは最初にアンカラからコンヤ高速鉄道の建設を2006年に着手し、2014年にイスタンブールまで延伸した。ユルドゥルムは衰退していた航空業界を革新するとして、老朽化していたアドナン・メンデレス空港に国際線専用ターミナルを新たに設置させた。
2016年5月24日にはエルドアン大統領によって、第65代トルコ共和国首相に任命される[9]。就任直後、議院内閣制から大統領制への移行を唱えた。議院内閣制が国民の混乱に陥ったことで大統領による統制が特段に必要であることを移行の理由としている[10]。内政面では未成年者に対する性的暴行で受刑者と被害者が結ばれると免罪になる法案を掲げたが、議会の反対によって、撤回に追い込まれる[11]。
2018年に首相退任後、大国民議会議長へ就任。翌年2月18日、3月に実施されるイスタンブール市長選へ出馬するため、議長の座を退いた[12]。イスタンブール市長選でエクレム・イマモールとの決選投票まで進んだが、僅かの差でイマモールに敗れた[13]。
人物
編集脚注
編集- ^ “Merkez Karar ve Yönetim Kurulu: Binali Yıldırım” (トルコ語). 公正発展党. 2024年9月27日閲覧。
- ^ “Turkey Is About to Change”. HuffPost (2016年5月26日). 2016年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “Binali Yıldırım kimdir? Binali Yıldırım nereli, kaç yaşında? – Gündem Haberleri”. www.haberturk.com (2016年5月21日). 2016年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “Binali Yıldırım”. 2016年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “Binali Yıldırım'ın Yazılmayan Geçmişi”. Gazeteport (19 May 2016). 2016年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “AKPARTİ”. 2017年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “TÜRKİYE BÜYÜK MİLLET MECLİSİ”. 2016年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月23日閲覧。
- ^ “'AKP'de Alevi vekil olmalı'”. Haber3 (2014年6月30日). 2016年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “トルコ:ユルドゥルム新首相の選出”. 2024年9月27日閲覧。
- ^ “Binali Yıldırım Yeni Anayasa'yı Gerçekleştirmek İçin Çalışmalara Hemen Başlayacağız −2”. Haberler.com (24 May 2016). 2016年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ “「未成年者への性的暴行、結婚するなら免罪」法案を撤回 トルコ”. 2024年9月27日閲覧。
- ^ “Спикер турецкого парламента Йылдырым объявил об отставке”. ria.ru (18 February 2019). 2019年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月28日閲覧。
- ^ “YSK, İstanbul'da seçimin yenilenmesine karar verdi - Yeniden”. CNN Türk (in Turkish) (2019年5月6日). 2024年9月28日閲覧。
- ^ “İlham Əliyev ölkəmizdə yol qəzası keçirən Binəli Yıldırıma, Şamil Ayrıma və mühafizəçi Oğuzhan Dəmirçiyə xəstəxanada baş çəkib” (アゼルバイジャン語). Azerbaijan Presidency (2022年10月21日). 2024年9月27日閲覧。
- ^ “Binali Yıldırım'ın eşi Semiha Yıldırım kimdir?”. Milliyet.com.tr (22 May 2016). 2016年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
公職 | ||
---|---|---|
先代 アフメト・ダウトオール |
トルコ首相 第65代:2016年5月24日 - 2018年7月9日 |
次代 首相職廃止 |
党職 | ||
先代 アフメト・ダウトオール |
公正発展党党首 第2代:2016年5月22日 - 2017年5月21日 |
次代 レジェップ・タイイップ・エルドアン |