ヒットでヒット バチョンといこう!
ヒットでヒット バチョンといこう!は、1970年4月1日[1][注釈 1]から1974年6月まで、ラジオ大阪(大阪放送)で放送されていた深夜ラジオ番組。
ヒットでヒット バチョンといこう! | |
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番組の生放送が行われていた ラジオ大阪旧本社(1990年4月撮影) | |
ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1970年4月1日 - 1974年6月 |
放送時間 |
月曜 - 日曜 23:00 - 25:30 →月曜 - 日曜 23:00 - 25:00 月曜 - 土曜 23:00 - 25:00 |
放送局 | ラジオ大阪 |
パーソナリティ | #パーソナリティの節を参照 |
わっしょいスペシャル・ハイ本番! ○曜バチョン | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1976年4月5日 - 1977年4月 |
放送時間 | 月曜〜金曜 23:00〜25:00 |
放送局 | ラジオ大阪 |
パーソナリティ | #パーソナリティの節を参照 |
概要
編集当初は前番組『なぐりこみ歌謡七人衆』に続き、月曜日から日曜日まで毎日の放送。1973年4月改編で日曜日枠が無くなり、土曜日までの放送となった。
番組内のコーナーは笑福亭仁鶴の曜日に『バチョン落語大学』があり、このコーナーで当時、リスナーだった北野誠が「真打ち」を獲得した。リスナーへのプレゼント(ノベルティ)は「バチョンバッグ」などがあった[2]。
ラジオ大阪の編成上の都合で、1974年6月終了。同年10月より『サタディ・バチョン』を土曜夜の時間帯に開始[3]。バチョンを平日に復活する形で、1976年4月5日から『わっしょいスペシャル・ハイ本番! ○曜バチョン』(わっしょいスペシャル・ハイほんばん! ○ようバチョン。※○…放送曜日)を開始。1年間 放送した。
パーソナリティ
編集ヒットでヒット バチョンといこう!
- 月曜日:桂春蝶、真弓圭子 → 桂春蝶、白山英子
- 火曜日:正司敏江・玲児
- 水曜日:コメディNo.1、服部三千代[4] → 笑福亭仁鶴、板垣晶子[4]
- 木曜日:浜村淳、小鹿ミキ → 浜村淳、井原千鶴子 → 浜村淳、任啓子[4] → 浜村淳、横井くにえ
- 金曜日:桂小米(のちの桂枝雀)、吾妻ひな子
- 土曜日:笑福亭仁鶴、板垣晶子[4] → コメディNo.1、服部三千代[4]
- 日曜日:桂三枝(現・六代桂文枝)、高橋真由美(1971年9月まで) → 桂春之助、石川香代子[4](1971年10月〜1973年3月)
わっしょいスペシャル・ハイ本番! ○曜バチョン
放送時間
編集ヒットでヒット バチョンといこう!
- 月曜日 - 日曜日 23:00 - 25:30 (1970年4月1日 - 1970年6月29日)
- 月曜日 - 日曜日 23:00 - 25:00 (1970年6月30日 - 1973年3月) - ※『オールナイトニッポン』のネット開始に伴い、放送枠を30分 縮小。
- 月曜日 - 土曜日 23:00 - 25:00 (1973年4月 - 1974年6月)
わっしょいスペシャル・ハイ本番! ○曜バチョン
- 月曜日 - 金曜日 23:00 - 25:00
脚注
編集注釈
編集- ^ 開始年については『なつかしラジオ大全』P161に掲載された『サタディ・バチョン』について記した記事を参照。
出典
編集参考資料
編集- ラジオ大阪制作部(編)、1972年6月20日『新・ふぃ〜りんぐ バチョン!』(初版版)、六月社書房。全国書誌番号:75071839。
- ラジオ大阪制作部(編)、1973年6月10日『ふぃーりんぐバチョン : らくがき集』六月社書房。
- 『なつかしラジオ大全』〈三才ムックvol.505〉、三才ブックス、2012年7月1日。ISBN 4861994829。
- ランラジオ(1974年8月1日発行、自由国民社)
ラジオ大阪 平日夜ワイド枠(1970年4月 - 1974年6月) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ヒットでヒット バチョンといこう!
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ラジオ大阪 平日夜ワイド枠(1976年4月 - 1977年4月) | ||
わっしょいスペシャル・ハイ本番! ○曜バチョン
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