パルテノペア共和国
Repubblica Partenopea (イタリア語)
ナポリ王国 1799年 - 1799年 ナポリ王国
パルテノペア共和国の国旗 パルテノペア共和国の国章
国旗(国章)
パルテノペア共和国の位置
パルテノペア共和国の地図(1799年)
公用語 中央イタリア方言ナポリ語
首都 ナポリ
総裁
1799年 - 1799年 カルロ・ラウベルグ
1799年 - 1799年イニャツィオ・チャイア
変遷
フランス侵略 1799年1月21日
シチリア王国の反撃1799年6月13日
現在イタリアの旗 イタリア

パルテノペア共和国(パルテノペアきょうわこく、パルテノペーア共和国[1]とも、イタリア語: Repubblica Partenopea)は、1799年イタリアナポリを中心とした地域に成立していた共和国である。ナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍によりナポリ王国が打倒されたあと、1799年1月に樹立された。実質はフランスの侵略で衛星国だった。パルテノペア共和国は、封建制廃止令を出したものの、フランス軍撤退後、ルッフォ枢機卿に率いられた農民と都市貧民からなるカトリック王党軍団によって、同年7月、半年を経ずしてその命脈を断たれた。[2] 主権を回復したナポリ政府は、革命派を多数処刑した(1799年に処刑されたナポリの共和主義者のリストイタリア語版)。

熱心なキリスト教徒からなる反革命軍を率いて、共和国打倒に功績のあったファブリツィオ・ルッフォイタリア語版枢機卿を描いた当時の戯画。

国名はナポリの古名のパルテノペにちなむ。いわゆる姉妹共和国のひとつ。

参考文献

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  • 『ベッカリーアとイタリア啓蒙』(堀田誠三、名古屋大学出版会、1996年)

脚注

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  1. ^ パルテノペーア共和国』 - コトバンク
  2. ^ 『ベッカリーアとイタリア啓蒙』(堀田誠三、名古屋大学出版会、1996年、258頁)