パラオの国旗
パラオ共和国(Beluu er a Belau)の国旗は、中央のやや旗竿寄り[注 1]に黄色の円を配し、明るい青を背景色とした旗である。
用途及び属性 | ? |
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縦横比 | 5:8 |
制定日 | 1981年1月1日 |
使用色 |
概要
編集黄金色の円は月を表し、パラオ人の機が熟し独立国となったことを表す。また月はパラオの人々にとって収穫や自然の循環、年中行事に重要な役割を果たしている。明るい青はパラオが広大な太平洋に位置することとともに、過去の異国の統治による影からの脱出を表す[2]。
このデザインは、1979年に国旗を決めるコンテストで優勝したジョン・ブラウ・スキーボング(John Blau Skebong、1935年生まれ・現アルモノグイ州知事の実兄)によるもので[注 2]、ンギラクラン・マルソル(Ngiraklang Malsol)を委員長とする国旗選定の為の特別委員会によって20作品ほど(70作品から100作品ほどあったという説もある)の候補の中から選ばれ[4]、1980年に議会で承認された。
日本の国旗との関連
編集パラオ政府の見解
編集パラオ政府内務省による国旗についての文書ではデザインの類似性の記載はない[5]。
関係者へのインタビュー
編集ジョン・ブラウ・スキーボング(国旗デザイン者)
編集2010年10月に元埼玉県立大学教授で国旗に詳しい吹浦忠正(現ユーラシア21研究所理事長)は、パラオに出向き、国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スキーポングにインタビューを行った。吹浦が「パラオの国旗は日の丸の模倣ではないか」、「日の丸の太陽に遠慮して月にしたのではないか」、「日の丸に遠慮して月を中心よりずらしたのではないか」との3点について質問したところ、スキーボングは「全部違うね。私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない。日本は日本、パラオはパラオだ。」とし、さらに「パラオの美しい月を表現したもの」と回答した[4]。
クニオ・ナカムラ大統領
編集1999年に東京財団の研究者である歌川令三[6]はクニオ・ナカムラ大統領(在任1993年 - 2001年)と懇談の折に直接真相をただしたが、大統領は苦笑して肯定も否定もしなかった[7]。結局、歌川はパラオ国旗と日の丸の関係について「よくわからない」としている。
パラオの国旗は空色の地に、黄金色の丸が書かれている。「日本の日の丸に似ている」といったら、「まあ、そういう見方もあるよね」とナカムラさんは苦笑する。空色と黄金色は、海と満月、平和と静寂、海と陸の豊饒を表しているという(『財界』1999年12月7日号。「やしの実大学ミクロネシア講座パラオ共和国紀行」に転載)。
ミノル・ウエキ駐日パラオ大使
編集2015年4月8日に放送されたにフジテレビ『FNN みんなのニュース』が、日本とパラオの国旗のデザインの類似性を取り上げ、ミノル・ウエキ元駐日パラオ大使(在任2009年 - 2013年)へのインタビューを放送している[8]。日本人のフジテレビ記者の質問に対して、ウエキは「日本の国旗(白地に赤色)から取って、青地に黄色にした。青が海で、真ん中の丸は月」と話した[8]。
日本国旗に由来するとの説が広まった経緯
編集この説の起源は不明であるが、1982年にパラオのペリリュー島に日本の右翼団体日本青年社の傘下組織である「清流社」がペリリュー神社を「創建」した際に賛同資金集めのために出版された冊子「ペリリュー神社奉賛会設立趣意書」[注 3])にはすでにこの説が記されている。名越二荒之助は展転社の協力を得て「日の丸三兄弟」との題での各地での講演などを通じて自説の普及に努めた。名越は2004年8月16日のチャンネル桜の放送「桜塾講座-世界に開かれた日本近現代史 #1 日の丸三兄弟物語」において「パラオの国旗の月は日出る国日本によって照らされて輝くと我々(名越)は解釈するが、そのことをパラオの人たちには恩着せがましいので言わない」と発言している。名越は著作「世界に生きる日本の心」の中で、パラオ国旗・バングラデシュ国旗を日章旗に由来する「日の丸三兄弟」として紹介した[9]。
さらに、1990年代後半からは名越の弟子である伊勢雅臣(布瀬雅義)が主宰発行するメールマガジン「国際派日本人養成講座」を通じて、この説はインターネットを中心に一気に世間に広まっていった。このほかには西牟田靖の著作『僕の見た「大日本帝国」』[10]や、世界の国旗に関する辞典、図鑑などでもこの説が紹介されている[11][12][13]。
さらに、このパラオの国旗は日章旗が由来であるとの説は藤岡信勝が代表を務める自由主義史観研究会や藤岡と交流のあった向山洋一をリーダーとするTOSSのメンバーにより一部の小中学校の社会や道徳の授業では当然のこととして授業に取り入れられている[14][15][16][17]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スキーボングによると、10分の1寄せているという[1]。
- ^ The Palau National Flag was the winning entrant by Mr. Blau Skebong in the 1979 ROP Flag Contest and was adopted by the Olbiil Era Kelulau through Public Law No. 7-6-2 on September 1980.(要旨:パラオ国旗のデザインは1979年に行われたコンテストによる)[3]
- ^ 名越本の引用では副題のペリリュー神社再建由来記として知られる。
出典
編集- ^ パラオ国旗の作者との対話、吹浦忠正
- ^ “History of the National Flag” (PDF). Second Constitutional Convention - 2005. 2006年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
- ^ “Flags of The World”. Flags Of The World website. 2018年8月18日閲覧。
- ^ a b 吹浦忠正 (2010年10月26日). “パラオ国旗の作者との対話”. 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草. 2018年8月18日閲覧。
- ^ 21世紀研究会(編纂)『国旗・国歌の世界地図』文藝春秋、日本〈文春新書〉、2008年、403頁。ISBN 9784166606450。
- ^ 歌川は元毎日新聞記者、同取締役編集局長ののち1988年退社。日本財団(日本船舶振興会)常務理事を経て東京財団理事、多摩大学客員教授。
- ^ 『財界』1999年12月7日号(「やしの実大学ミクロネシア講座パラオ共和国紀行」に転載)
- ^ a b “天皇皇后両陛下、パラオにご到着 笑顔で国際空港をあとに”. Fuji News Network (2015年4月4日). 2015年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
- ^ 名越二荒之助「世界に生きる日本の心」、展転社、1987年
- ^ 西牟田靖『僕の見た「大日本帝国」』情報センター出版局、2005年2月、ISBN 4795843023。
- ^ 『よくわかる 国旗と国名由来図典』辻原康夫著、出窓社、2004年。ISBN 9784931178502
- ^ 『世界の国旗ビジュアル大事典』吹浦忠正著、学習研究社、2007年。ISBN 9784054031982
- ^ 「株式会社 更五 公式サイト」(国旗の製作・販売をしている明治32年創業の会社)
- ^ 服部剛(横浜市公立中学校教諭) (2003年). “授業報告 国旗・国歌の意義を教える(上)”. 自由主義史観研究会. 2015年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
- ^ 小林義典(TOSS SANJO) (2014年3月11日). “日本とパラオ共和国の国旗”. 2018年8月18日閲覧。
- ^ 福岡美智雪(TOSS加賀). “「日本とパラオ共和国の国旗」授業を終えて~事実という最高の資料「パラオ共和国」”. 2018年8月18日閲覧。
- ^ 大恵信昭(TOSS岡山サークルMAK) (2005年2月24日). “日本人の気概、日本人の素晴らしさを伝える社会科授業世界で最も親日的な国、パラオ共和国”. 2018年8月18日閲覧。
関連項目
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