バーキー

オスマン帝国の詩人

マフムト・アブデュルバーキートルコ語:Mahmut Abdülbaki、通称:バーキーBakî)、1526年 - 1600年)は、オスマン帝国(現:トルコイスタンブール出身の詩人。主に抒情詩を作り「詩人のスルタン」と呼ばれた[1]

バーキー

オスマン帝国第10代皇帝スレイマン1世の時代の[2]詩人で、同国出身の詩人フズーリーと共に韻律などにペルシア語の要素を全面的に取り入れたディーワーン文学英語版の黄金期に活躍した。

生涯

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1526年、オスマン帝国イスタンブールの貧しい家庭の元に生まれる。バーキーのファーティフ・モスク英語版ムアッジンを務めていた。

最初期は馬具職人弟子として働いていたが[1]、後にマドラサに通うようになった。またマドラサでは優秀な成績を修め、当時有名だった講師講義にたびたび足を運んでいた。

その後、シェイヒュル・イスラームと言う国の重大な役職につき、スレイマン1世の寵臣となった[1]

その後、宮廷詩人として迎えられた。宮廷詩人に迎えられてから、他国と戦うスルタンの勝利を祝う詩や、死を悼む詩などを作り、バーキーの詩はペルシア宮廷でも歌われた。

1600年に亡くなる。

脚注

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  1. ^ a b c バーキーとは - コトバンク、2013年12月2日閲覧。
  2. ^ 世界史B用語集 2009, p. 148.

参考文献

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関連項目

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