チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群
チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群は、イタリアの世界遺産の一つ。イタリア中部ラツィオ州にある、エトルリア人が残した2か所のネクロポリス(チェルヴェーテリ近郊のバンディタッチャ遺跡と、タルクイーニア近郊のモンテロッツィ遺跡)が対象となっている。
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バンディタッチャのネクロポリス | |||
英名 | Etruscan Necropolises of Cerveteri and Tarquinia | ||
仏名 | Nécropoles étrusques de Cerveteri et de Tarquinia | ||
面積 |
20.84 ha (緩衝地域 5,785.620117 ha) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (3), (4) | ||
登録年 | 2004年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター | ||
使用方法・表示 |
バンデタッチャのネクロポリス
編集バンディタッチャのネクロポリス(Necropoli della Banditaccia)は、ローマの西北西約35kmのチェルヴェーテリ近郊にあるネクロポリスの遺跡である[1]。バンディタッチャという名前はイタリア語のBandoに由来している。
総面積は400 haで、そのうち訪問可能なのは 10 ha である。全体で1200もの墓があり、その多くが小丘を覆っている。この遺跡は地中海世界最大のネクロポリスである。墓の作成された年代は紀元前9世紀のヴィッラノーヴァ文化(Villanovan culture)期から、紀元前3世紀の後期エトルリア時代にわたっている。古式ゆかしいものは、井戸状の竪穴を掘りそこに死者の灰を納めるが、簡素な窪地状のものも存在している。
墓の様式
編集エトルリア期の墓には、2つの様式が見られる。
- 道なりに一直線に並んで築かれている「立方体」状の墳丘。訪問可能な区域は、紀元前6世紀に遡るvia dei Monti della Tolfa と via dei Monti Ceriti の2つの道(« via »)から成り立っている。
- 凝灰岩の中に築かれた円形状の墳丘。岩を直接刳り抜いた内部は、玄室、羨道や幾つかの部屋がある。
考古学的知見
編集この古代文明の遺跡について現在分かっていることの一定部分は、墓の装飾の詳細に負っている。墓の中で最も有名なのはdei Rilieviと呼ばれるものとその紀元前4世紀のレリーフだが、それは碑文からマトゥナス(Matunas)なる人物のものであることが分かっている。墓にはすぐれたフレスコ画群や薄浮彫、生活用具の数々を描いた彫刻などが見られる。
最も新しい時期の墓は紀元前3世紀のものである。それらの中には外部にCippusを具えているものもあり、男性向けには円筒型、女性向けには小さな家の形をしている。それぞれ、男根と竈をかたどったものだと言われている。
出土品の大部分は、現在、ローマの国立エトルリア博物館(Museo Nazionale Etrusco)とチェルヴェーテリの国立考古学博物館(Museo Nazionale Archeologico)で展示されている。
モンテロッツィのネクロポリス
編集モンテロッツィのネクロポリスは、ローマの西北西約70kmのタルクイーニア近郊にあり、6000以上の墓が発見されている。バンディタッチャ同様、フレスコ画の描かれた墓なども含まれている。
登録基準
編集この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
脚注
編集- ^ 池上英洋『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、213頁。ISBN 978-4-334-04303-2。