バルダッサーレ・フランチェスキーニ
イル・ボルテラーノとも呼ばれたバルダッサーレ・フランチェスキーニ(Baldassare Franceschini、通称: Il Volterrano、 1611年 - 1689年1月6日)は、イタリアの画家である。
バルダッサーレ・フランチェスキーニ Baldassare Franceschini | |
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自画像 | |
生誕 |
1611年 ヴォルテッラ |
死没 |
1689年1月6日 フィレンツェ |
略歴
編集現在のトスカーナ州ピサ県のヴォルテッラ(Volterra)で彫刻家のガスパーレ・フランチェスキーニ(aspare Franceschini)の息子に生まれた。通称の「イル・ボルテラーノ」は出身地に因んでいる。子供時代から父親の弟子として働き、その後、ヴォルテッラで画家のCosimo Daddiの弟子になった。この修業時代に、フランチェスキーニの才能はトスカーナ大公妃、クリスティーナ・ディ・ロレーナに仕えるインギラーミ公爵(Curzio Inghirami)が認めるところとなり、フランチェスキーニが16歳の時に公爵によってフィレンツェに送られ、マッテオ・ロッセッリ(Matteo Rosselli: 1578-1650)の工房で修行し、フランチェスコ・フリーニ (c.1600-1646) やロレンツォ・リッピ(1606-1665)といった画家たちとも知り合った。
1635年から1636年にかけて、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(Giovanni da San Giovanni: 1592-1636)の助手としてピッティ宮殿の装飾の仕事をした。その後、ヴォルテッラやフィレンツェのメディチ家の別荘、Villa La Petraiaなどで装飾画を描いた。
1652年から1660年の間、フィレンツェのニッコリーナ礼拝堂(Cappella Niccolina)の装飾画の仕事をしたが、この仕事のためにローマなどに旅し、当時ローマで活躍していたピエトロ・ダ・コルトーナ(1596-1669)のスタイルから影響を受けた作品を描くようになった。1683年頃にはサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会(Basilica della Santissima Annunziata)のフレスコ画を描いた[1]。
フィレンツェで没した。
弟子には Antonio Franchiや Benedetto Orsi、 Michelangelo Palloni、 Domenico Tempesta、 Cosimo Ulivelli 、Massimiliano Soldani-Benziがいる。
作品
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ニッコリーナ礼拝堂の装飾画
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フィレンツェのサンクレメンテ宮殿の装飾画
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ピッティ宮殿装飾画
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ヴィーナスとキューピッド
Residence Museum in the Celle Palace
脚注
編集参考文献
編集- «Encyclopædia Britannica». En Chisholm, Hugh, ed. Encyclopædia Britannica. A Dictionary of Arts, Sciences, Literature, and General information (en inglés) (11.ª edición). Encyclopædia Britannica, Inc.; actualmente en dominio público.
- Rudolf Wittkower, Arte y Arquitectura en Italia: 1600-1750 Ediciones Cátedra, Madrid (2007), página 344, ISBN 978-84-376-2409-9
- Giuseppe Pacciarotti, La Pintura Barroca en Italia, Ed. Istmo (2000), ISBN 84-7090-376-4, páginas 355-356.