バッバ・クロスビー
リチャード・スティーブン・クロスビー(Richard Stephen "Bubba" Crosby、1976年8月11日[1] - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ベルエアー出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州ベルエアー |
生年月日 | 1976年8月11日(48歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト1巡目(全体23位)でロサンゼルス・ドジャースから指名 |
初出場 | 2003年5月29日 |
最終出場 | 2006年8月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集地元のベルエアー高等学校卒業後、ライス大学に進学した。
プロ入りとマイナー時代とドジャース時代
編集1998年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから1巡目(全体23位)指名され[2]、プロ入り。この年は、傘下のA+級サンバーナーディーノ・スタンピードで56試合に出場し、打率.216・0本塁打・14打点・3盗塁を記録した[2]。
1999年は開幕をA+級サンバーナーディーノで迎えた。この年は、96試合に出場し、打率.296・1本塁打・37打点・19盗塁を記録した[2]。
2000年は、A+級ベロビーチ・ドジャースでは、73試合に出場し、打率.266・8本塁打・51打点・27盗塁を記録した[2]。A+級サンバーナーディーノでは、3試合に出場し、打率.250・0本塁打・2打点・1盗塁を記録した[2]。
2001年は開幕をAA級ジャクソンビル・サンズで迎えた。ここでは、107試合に出場し、打率.302・6本塁打・47打点・22盗塁を記録した[2]。その後、AAA級ラスベガス・フィフティワンズに昇格した。ここでは、13試合に出場し、打率.214・0本塁打・5打点・1盗塁を記録した[2]。
2002年は開幕を前年同様AA級ジャクソンビルで迎えた。ここでは、38試合に出場し、打率.260・2本塁打・20打点・7盗塁を記録した[2]。その後、AAA級ラスベガスに昇格した。ここでは、73試合に出場し、打率.262・9本塁打・36打点・3盗塁を記録した[2]。
2003年は開幕をAAA級ラスベガスで迎えた。ここでは、76試合に出場し、打率.361・12本塁打・57打点・8盗塁を記録した[2]。この好成績が認められメジャー初昇格を果たし、5月29日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビュー。
ヤンキース時代
編集2003年7月31日にスコット・プロクターと共にロビン・ベンチュラとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズへ配属された。ここでは、16試合に出場し、打率.302・2本塁打・8打点・3盗塁を記録した[2]。
2004年は、スプリングトレーニングで打率.385・2本塁打・9打点と好成績を記録し、開幕をメジャーで迎えた[3]。4月12日のシカゴ・ホワイトソックス戦では、2本塁打、5打点を記録しダイビングキャッチを披露するなど活躍し、ヤンキースの勝利に貢献した[4]。この日勝利投手となったマイク・ムッシーナは通算200勝を達成した[5]。しかし、ケニー・ロフトンがDLから復帰するとマイナーに降格した。その後は、メジャーとマイナーを行き来する。この年のアメリカンリーグディビジョンシリーズとこの年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズのロースターには登録され、代打や代走として起用された。最終的に、メジャーでは、55試合の出場で、打率.151・2本塁打・7打点・2盗塁に終わる。マイナーでは、AAA級コロンバスで33試合に出場し、打率.276・1本塁打・15打点・3盗塁を記録した[2]。
2005年は前年同様に、開幕をメジャーで迎えた。しかし、成績不振で7月8日にAAA級コロンバスへ降格した。8月18日にメジャーに昇格した。この際昇格した時には、背番号が「19」だった。これは、マイナーでプレーしている最中に新加入したアル・ライターが背番号「18」だったための措置だった。最終的にこの年は、メジャーでは、76試合に出場し、打率.276・1本塁打・6打点・4盗塁を記録した。マイナーでは、AAA級コロンバスで42試合に出場し、打率.231・4本塁打・22打点・2盗塁を記録した[2]。オフには、ゼネラルマネージャー(GM)のブライアン・キャッシュマンがクロスビーが正中堅手としてプレーする事を示唆した[6]が、12月20日にヤンキースのライバルであるボストン・レッドソックスからジョニー・デイモンが4年総額5,200万ドルでの移籍[7]してきたため、その可能性は無くなった。また、背番号もこのデーモンが「18」を背負うため、またしても「18」は復帰とはならなかった。
2006年は、開幕ロースター入りした。しかし、5月中旬から6月にかけてDL入りした。その後、メジャーに昇格した。しかし、65試合に出場で、打率.207・1本塁打・6打点・4盗塁と不振だったため、8月4日に、DFAとなった。8月9日にウェーバー公示されたが、AAA級コロンバスへ降格した。その後、メジャーに昇格する事は無かった。オフに、フリーエージェント(FA)となった。
レッズ傘下時代
編集2006年11月10日にシンシナティ・レッズと契約を結んだ。
2007年は、スプリングトレーニングで16試合に出場し、打率276、1本塁打、7打点を記録した。3月27日に傘下のAAA級ルイビル・バッツへ異動し、ここで開幕を迎えた。13試合に出場した後、左肩の腱炎でDL入りした。7月20日に手術を受け、シーズンを終えた。オフにFAとなった。
2008年2月19日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。しかし、3月7日に解雇された。その後、現役引退した。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2003 | LAD | 9 | 12 | 12 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .083 | .083 | .083 | .167 |
2004 | NYY | 55 | 58 | 53 | 8 | 8 | 2 | 0 | 2 | 16 | 7 | 2 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 13 | 0 | .151 | .196 | .302 | .498 |
2005 | 76 | 103 | 98 | 15 | 27 | 0 | 1 | 1 | 32 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 14 | 1 | .276 | .304 | .327 | .630 | |
2006 | 65 | 96 | 87 | 9 | 18 | 3 | 1 | 1 | 26 | 6 | 3 | 1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 2 | 21 | 0 | .207 | .258 | .299 | .557 | |
MLB:4年 | 205 | 269 | 250 | 32 | 54 | 5 | 2 | 4 | 75 | 20 | 9 | 2 | 6 | 0 | 10 | 0 | 3 | 51 | 1 | .216 | .255 | .300 | .555 |
背番号
編集- 49 (2003年)
- 18 (2004年 - 2005年途中)
- 19 (2005年途中 - 2006年)
脚注
編集- ^ http://bubba-crosby.com/bio.htm
- ^ a b c d e f g h i j k l m Baseball Reference (Minors)
- ^ Yanks roster set, Bubba makes it MLB.com (2004年3月29日) 2015年1月16日閲覧 (既にリンク切れ)
- ^ Lofton, Williams likely to displace Crosby ESPN (2004年4月12日) 2015年1月16日閲覧
- ^ BASEBALL; Big Hit With Yankee Fans, Crosby Hits Homer and Wall ニューヨーク・タイムズ (2004年4月12日) 2015年1月16日閲覧
- ^ Yankees Keep Crosby in Center of Their Plans ニューヨーク・タイムズ (2005年12月1日) 2015年1月16日閲覧
- ^ “Johnny Damon Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2012年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月16日閲覧。