バスク・ボール』(スペイン語: La pelota vasca: la piel contra la piedra, バスク語: Euskal pilota: larrua harriaren kontra, 英語: The Basque Ball: Skin Against Stone)は、2003年にスペインで製作されたドキュメンタリー映画。脚本・監督はバスク人フリオ・メデム

バスク・ボール
スペイン語: La pelota vasca: la piel contra la piedra
バスク語: Euskal pilota: larrua harriaren kontra
監督 フリオ・メデム
脚本 フリオ・メデム
製作 フリオ・メデム
コルド・スアスア
撮影 ハビエル・アギーレ
リカルド・デ・グラシア
ダニエル・ソサ・セグラ
編集 フリオ・メデム
配給 ゴレム・ディストリブシオン
公開
  • 2003年9月10日 (2003-09-10)
上映時間 110分
製作国 スペインの旗 スペイン
言語 バスク語
英語
フランス語
スペイン語
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断片的に登場するバスク・ペロタ

背景

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この映画の意図は、バスク地方に存在してしばしば暴力的となる、異なる政治的立ち位置の架け橋となることである。そのため、監督のフリオ・メデムは、対談を拒否した組織同士があたかも対話しているかのように、フィルム上でインタビューを編集した。問題の背景についての文脈が欠如していることから、 バスク紛争についての前提知識のない観客は、この映画を理解するのが困難かもしれない。この映画がバスク問題に精通した人々向けに描かれていることは明白である。この映画にはバスクが関連したいくつもの映画の断片が使用されており、『Edurne, modista bilbaina』(1924年)、『El Mayorazgo de Basterretxe』(1929年)、『Around the World with Orson Welles』(1955年)、『Pelotaro』(ペロタ選手 : 1964年)、『Ogro』(オグロ作戦 : ジッロ・ポンテコルヴォ監督, 1980年)、『Pelota』(ペロタ : 1984年)、『Vacas』(メデム自身の監督作品, 1992年)、『時間切れの愛』(イマノル・ウリベ監督, 1994年)、『40 ezetz』(1999年)、『Yoyes』(エレーナ・タベルナ監督, ヨイエスというETA女性活動家の伝記, 2000年)などが用いられている。またインタビューやハイアライの選手の映像を頻繁に挿入している。

批評

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このドキュメンタリーの大きな争点のひとつは、 バスク問題のふたつの主体者、国民党(PP)の現職議員とバスク祖国と自由(ETA)の活動家が対談インタビューへの参加を拒否したことである。この映画は完成後にサン・セバスティアン国際映画祭に出品されたが、国民党議員は映画祭の主催者に対して、この映画の適合性について再考することを要請した。彼らの対談インタビュー拒否が理由で、この映画は不完全なドキュメンタリー映画となった[1]。この映画は双方の側から公に批判され、バスク人であるメデムは、国民党側からは「ETAの代理人」、ETA側からは「スペイン軍の代理人」であるとして非難された。実際に、インタビューを受けた人物の中でフォロ・エルムアのイニャキ・エスケラとゴツォネ・モラは、メデムにインタビューの撤回を求めた。彼らは、メデムがスペインの治安警察と警察を拷問者とみなし、ETAやETAの支持者を被害者とみなしているとして非難した[2]。このような抗議が行われたが、映画の公開日が差し迫っていたために、彼らのインタビューは残された。映画公開後、バスク地方の歴史についてより深く理解できる、計7時間、3枚組に編集された特別版DVD(ISBN 0-499-01513-4)とスペイン語の書籍(ISBN 84-03-09425-6)がリリースされたが、7時間版DVDにフォロ・エルムアのインタビューは収録されていない。

映画に登場する人物

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原則として映画が公開された2003年時点での役職を記している。

政治家とその関係者

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学者・ジャーナリストなど

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特別版DVDのみの収録者

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特別版DVDには、以下の人物のインタビューが収録されている。

受賞

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カテゴリー 結果
2004年ゴヤ賞 ドキュメンタリー賞 ノミネート
2004年ヨーロッパ映画賞 ドキュメンタリー賞 ノミネート
2004年カルタヘナ映画祭 作品賞 ノミネート

脚注

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外部リンク

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