バザスフランス語:Bazasガスコン語:VasatesまたはBazats)は、フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県コミューン

Bazas


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
(département) ジロンド県
(arrondissement) ランゴン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 33036
郵便番号 33430
市長任期 ベルナール・ボセット
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Bazadais
人口動態
人口 4607人
2008年
人口密度 人/km2
住民の呼称 Bazadais, Bazadaises[1]
地理
座標 北緯44度25分58秒 西経0度14分54秒 / 北緯44.4327777778度 西経0.248333333333度 / 44.4327777778; -0.248333333333座標: 北緯44度25分58秒 西経0度14分54秒 / 北緯44.4327777778度 西経0.248333333333度 / 44.4327777778; -0.248333333333
標高 平均:m
最低:34m
最高:123m
面積 37.29km2 (3 729ha)
Bazasの位置(フランス内)
Bazas
Bazas
公式サイト http://www.ville-bazas.fr
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由来

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バザスという名称はラテン語のcivitas basatica(バサテス人の都市)から派生した。古名Cossiumは、アキテーヌ語のkoiz、ガスコン語のCoçのラテン語化による。

地理

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バザスは県南東部にある。ランドの森の入り口のあっさりした起伏の上にある。ボルドーの南東約59km、郡庁所在地ランゴンの南約16kmにある[2]

歴史

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鉄器時代初期より、南西部の軍事拠点となってきた。城壁と記念碑的な門は、初期の軍事的役割と一定の支配権を持っていた。

フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の司教都市としてバザスは、18世紀終わりまで司教区を持っていた。アンシャン・レジーム期の裁判所プレシディアル(fr)が本拠を置き、行政と司法の力を組み合わせて、最も強力な都市として必要とされていた。その名声のため、リチャード1世シャルル5世が訪問している。

百年戦争中にイングランドとフランスの係争地となり、1441年にフランスに併合された。1561年はバザス史上最も暗い日であった。ユグノーが都市に入場し、教会を荒らしたのである。高名な司教のアルノー・ド・ポンタックは、全体の破壊から三重扉を救い、復元した。

1562年、ユグノー戦争中、ユグノーの一団が町を奪った。ルイ14世は、サン=ジャン=ド=リュズで挙げたマリー・テレーズ・ドートリッシュとの結婚式からの帰路、バザスに立ち寄った[3]

バザスはこの偉大な時代を保存し続けてきた。ゴシック様式のサン=ジャン=バティスト教会は、町の最も重要な記念碑である。

1790年から1795年まで郡庁所在地であった。

経済

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バザデーズ・ボビン・レースと呼ばれるレース製造、金属加工業、林業が盛んである。また、肉牛のバザス牛(fr)はラベル・ルージュ(fr:label rouge)を2008年に取得している。

交通

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鉄道駅がバザスにないため、最寄はランゴンのTERアキテーヌ・ランゴン駅となる。

姉妹都市

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脚注

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  1. ^ Nom des habitants des communes françaises sur habitants.fr, consulté le 5 juillet 2011.
  2. ^ Distances les plus courtes par la route - Les distances orthodromiques sont respectivement de 53.7 km pour Bordeaux et 13.3 km pour Langon. Données fournies par Lion1906.com, consulté le 17 juin 2011.
  3. ^ plaque apposée sur la maison